屋島木里神社で長崎の鼻の絶景を堪能!
木里神社の特徴
屋島の長崎ノ鼻からの眺望が素晴らしいです。
屋島半島の先端に位置しており、絶景が楽しめます。
美しい夕日が見られるスポットとして評判です。
近くの長崎の鼻からの眺望がすばらしいです。先端部は断崖絶壁なので少し怖いかもしれません。
The shrine itself is unremarkable, but the sunset at the tip of the peninsula is amazing.
| 名前 |
木里神社 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
4.4 |
| 住所 |
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来歴:屋島木里神社は屋島半島の北端、通称 長崎ノ鼻に鎮座。なお峰山にも木里神社があり、二社は兄弟神社と呼ばれていたそうです。その他、木里神社は児島の本宮 下津井木里神社と対岸にその分社 丸亀木里神社もある。創建は戦国時代の終わり天正十六年(1588年)、丸亀にいた『生駒親正』が高松藩主として香東郡篦原庄玉藻浦(現高松市玉藻町)に玉藻城を築城したおり、玉藻浦(長尾街道以北は当時湾岸であった)の海上交通の守り神として、また玉藻城の守護神として祀ったとある。続く『松平氏』の時代、貞亨年間に『松平頼重 公』が『頼常 公』とともに城下町を整備し、この際高松の繁栄と海の安全を祈願するため、水戸から連れてきた『鈴木道栄』に屋島に領地を与え、この社の祭祀を命じた。以来、松平家の御信仰厚く、春秋には盛大な祭礼も執り行われていたようですが、明治の世になり援助も打ち切られると氏子がいない為に衰微し、台風で社殿が倒壊してもその後は再建もできず、江戸時代より祭祀を命ぜらていた『鈴木家』も昭和の初めにはこの地を離れた為、神社は全く忘れ去られてしまい長い間荒れるままになっていました。ですが当時、石清尾山の『峰山木里神社』(高松市西宝町峰山最北端)の宮司(向良神社・愛宕神社の宮司を兼任)であった『亀田桂さん』が、かつて高松にもう一つの木里神社があったと知ると古文書などを調べ、玉藻の浦の西と東の峰に「屋船久久能知神」(やふねくくちのかみ)などの三神を祀っていた事がわかり、また亀田さんは西峰が峰山なら当時の地形などから鑑みて東峰は同じ突堤状態の岬になる玉藻城を挟んで対岸の屋島では? と昭和53年に実地調査をし、屋島西町の浦生地区の古老の話から明治三十七年ごろの台風で社殿が倒壊したことや、最北端「大砲跡」のある長崎ノ鼻の雑草の中から松平家の紋章三葉葵が刻みこまれた木里明神と呼ばれる小さな祠と古びた鳥居・朽ちた社跡を発見し、また『広瀬猛明』屋島保護協会副会長が保存していた「天保七年」という社殿の棟札と二人の大工名からも『木里神社』の存在を確認。(天保七年、鈴木家五代目茂信の時に倒壊した社殿の再建が松平家によってさなされ、その記録並びに棟札などが残っていたのだ)更に、その大工の一人の子孫十六代目の鈴木京一さんが屋島の直下同市新田町に住み、未だ神社周辺の土地三千平方米を所有していることもわかった。(更に真南の同市前田東町にも前田木里神社を名乗る祠が何故かある。)こうして亀田さんは昭和57年(1982年8月11日)に社に建て替え、再建を果たしました。これは高松藩政時代から約四百年ぶりに「高松の守護神」として再興するものであった。なお計画では、雑木林に埋もれていた祠を移転して台組みの本殿とし、拝殿や社務所のほか参道など神域を「屋島木里神社」として整備するもので、その地域が国立公園特別地区なので文化庁にも出かけて東峰再建の認可を受け、私財で神域の用地を買収した。この際、山口友一高松市議会議員らも協力し募金活動をするが、亀田さんは「できるだけ市民の協力を仰ぎ、不足分は全財産をつぎ込んでも再興したい」と話していた。なお、その総事業費はざっと一億円であったと言う。ちなみに木里神社から僅か50mほど上がると、5世紀はじめにつくられた長崎の鼻古墳がある。全長約45Mで前方部が西に後円部が東側にある。なお西の前方部の先には、鯨を祀った祠があるそうです。昔は瀬戸内海にもよくよく鯨がいたのですね。