箱館戦争の舞台、権現台場探訪。
権現台場跡の特徴
権現台場は箱館戦争の舞台の一つで歴史的意義があります。
かつては砲台として改修された重要な中継拠点です。
高台からの眺望が素晴らしく、静かな雰囲気が広がります。
民家の敷地の境目にある土盛は土塁だと思うのですが。
愛好家にはいいけど普通の人には普通の神社。
ここが旧東照宮で砲台の跡とか何十年も知りませんでした。自宅から徒歩圏内にこんな場所があったことに驚きです。碑は整備されていますが、境内とアプローチ(参道?)はあまり手が入っていません。間近の交差点には産業道路から直通となる道路の取り付け工事が進行中です。工事完了後に、周辺道路の舗装工事と相まって参道・境内の整備が進むことを期待します。
①箱館戦争の舞台の一つ。②僅かであるが土塁跡が残っている。③説明文より→箱館戦争時の1869年(明治2年)、旧幕府軍が本拠地の五稜郭と背後の備えに急造した四稜郭との間の重要な結節点にあたる函館東照宮に砲台を設けたことから権現台場と呼ばれました。「はこぶらより」
権現台場は函館市神山3丁目18-1にあり、五稜郭の北方を守るため急造された四陵郭との中間に位置し、地形的には四陵郭のある台地が南方に伸びた先端部の、旧東照宮があった高台に築かれた野戦陣地的なものです。旧東照宮社殿は官軍の手により焼失し、現在は神山稲荷神社となっています。1865(元治2)年に建てられた石鳥居(五稜郭や弁天台場の石垣を手がけた石工の作)には弾痕があり戦闘の激しさを物語っています。また、かつてここにあった手水鉢にも弾痕があり、現在は北海道東照宮に移設されています。現:神山稲荷神社境内裏手には一部土塁の遺構が残っています。
하코다테 전쟁에서의 포대를 설치하였던 곳.지금은 신사로 바뀌어 있다자세한 역사는 아래에 서술.箱館戦争で砲台を設けたところ今は神社になっている詳しいのは下に述べる。箱館戦争時の1869(明治2)年、旧幕府軍が本拠地の五稜郭と背後の備えに急造した四稜郭との間の、重要な結節点にあたる函館東照宮に砲台を設けたことから、権現台場と呼ばれました。この砲台は新政府軍の攻撃を受け、東照宮の社殿も焼失。そんな中でも、五稜郭や弁天台場の石垣造りを手掛けた井上喜三郎作の大鳥居は崩壊することなく、現存しています。また、当時の土塁も見ることができます。東照宮はその後市内を転々とした後、現在は陣川町に所在。この場所は、現在神山稲荷神社になっています。(参考 : はこぶら)
| 名前 |
権現台場跡 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| HP | |
| 評価 |
3.2 |
| 住所 |
|
周辺のオススメ
★ 40年以上前になりますが、住宅が疎らで畑や草原ばかりだった頃、この権現台場遺跡の発掘調査を行いました。★ 作業は大変でしたが、縄文時代の住居跡やTピット、土器や矢尻、石斧、石棒などたくさんの遺物などが、発掘されました。★ 発掘作業がほぼ終わりに近づき、遺跡全体を撮影するために、建設現場で使われる鉄製の足場を組んで10mほどのタワーを作りました。★ 何度か撮影して休んでいる時、強風が吹いて、タワーが倒れてしまいました。人が上に乗っていなくて良かったと、ホッとしたことを思い出しました。