縄文の歴史、周堤墓群で感じる。
野花南周堤墓群の特徴
空知川西岸の海抜120mに位置し、自然に囲まれた歴史的スポットです。
周堤墓群は約3000年前に造られた遺跡であり、北海道特有の貴重な文化財です。
1953年に芦別郷土史研究会によって発見された、重要な歴史的遺跡の一つです。
芦別の富良野側にありました。農道を通っていくのでナビがあるとスムーズに目的地の前まで行くことができます。縄文時代のお墓だということです。この近くに縄文人の集落があったのかも。ここで縄文時代に思いを巡らすのも良しと思います。2つの墓群の1つしか保存されていませんが良い保存状態だと思います。もう一つは農地でした。内容については他の投稿者の書き込みを参考にして下さい。私の育った街は開発行為で住宅や道路や施設の下になって無くなっています。皆さんの街もきっと同じですよね。
なんにも無いけど、北海道固有の文化財大切に保存して欲しい 田んぼの真ん中なので、迷惑にならないように。
空知川西岸の河岸段丘上の海抜約120mに位置し、縄文時代後期末(約3000年前)に造られた北海道特有の集団墓地遺跡で、大小2基の周堤墓があり、1953(昭和28)年10月30日に芦別郷土史研究会の永田繁太郎、戸塚栄氏によって矢野等氏の耕作地内にて発見された。1954(昭和29)年5月札幌短期大学教授の河野広道氏を指導者に復原作業を行い、調査も実施した。平成24年と25年にも(公財)北海道埋蔵文化財センターが発掘調査を実施し埋め戻している。
周堤墓群とは、、、
①駐車場は無いので注意。②説明板より→・周堤墓とは周堤墓は、地面に平面円形の大きな竪穴を掘り、掘り上げた土を周囲に盛って区画し、竪穴の床面に計画的に複数の墓穴を設けた、縄文時代後期末ころ (約3000年前)に造られた北海道特有の集団墓地遺跡である。それぞれの墓穴の上には、墓標として石が配置される場合がある。昭和29年、河野広道博士は、この種の遺跡を「環状土爾(かんじょうどり)」と命名したが、現在では「周堤基」と呼ぶのが一般的である。道内では芦別市のほかに、恵庭市、 千歳市、 苫小牧市、斜里町、標津町に分布していて、中でも国指定史跡・千歳市キウス周堤墓群は、現存する最大規模の周堤墓として知られている。・野花南周堤墓群の概要1号周堤墓は、比較的良好な保存状態にあり、中央部に14個の川原石が配置されている。おそらく、その直下に基穴があったと考えられるが、平成25年の発掘調査では、遺構は確認されなかった。なお、周堤内の立石は、昭和37年に推定復元されたものである。2号周堤墓は、農耕のため周堤が削平された小規模な周堤墓と考えられ、昭和29年に河野広道博士が中央部の配石下を発掘したが、遺物や遺構は一切出土しなかったという。平成 25年の発掘調査では、周堤墓と認定するに足る情報は得られなかった。周堤内の遺構は確認されていないものの、野花南周堤嘉群は、北海道中央部において唯一現存する遺構であり、石狩低地帯から知床半島地域をつなぐ存在として重要である。
| 名前 |
野花南周堤墓群 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 営業時間 |
[火水木金土日月] 24時間営業 |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
|
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道が途中で砂利道になります。水谷豊の故郷。