中尊寺蓮が咲く古戦場。
阿津賀志山防塁の特徴
阿津賀志山防塁は1981年に史跡指定を受けた歴史的な場所です。
鎌倉幕府成立に関わる奥州合戦の防塁が存在しています。
美しい中尊寺蓮が咲いている広い敷地でゆったりと楽しめます。
厚樫山からここまで続く二重堀。源頼朝率いる関東軍に対して奥州軍の藤原泰衡が築かせたと伝わる日本三大防塁の一つです。当時からして物凄い土木量を思わせる貴重な遺構です。
鎌倉幕府と奥州藤原氏の命運を決めた「奥州合戦」で、藤原氏が鎌倉軍を防ぐ為に約4kmに渡って築いた防塁の遺構です。阿津賀志山防塁の遺構は数ヶ所点在していますが、この千年公園にある「下二重堀地区」と国道4号線沿いにある「国道4号北側地区」は、他の地区に比べて良好な遺構が残っている印象です。ただ、何の予備知識もなく行ったら多分、土手か田んぼの畦道くらいの印象しか持てないかも?4号北側地区遺構の近くにある「あづかし歴史館」に寄って、ミニチュア等々でイメージを持ってから行くと…大人気もなく駆け上がりたくなる衝動がわいてきます。下二重堀地区と国道4号線北側地区は散策自由となっております。
阿津賀志山防塁と中尊寺蓮を見学、ピンクの蓮華がとても美しく咲いていました。蓮池から阿津賀志山までの防塁跡も良く管理されています。
「鎌倉幕府成立の古戦場」「伊達家発祥の地」「日本三大防塁」「あつかし又は厚樫」源頼朝は鎌倉幕府を確実にするため、和平を望む奥州藤原氏が治める東北へと侵略。藤原氏は防衛のため半年で3kmに及ぶ防塁を建設、激戦「阿津賀志山の戦い」が発生した場所です。この戦いで藤原氏は壊滅的打撃を受け後に滅亡、多賀城、平泉が征服され鎌倉幕府が成立、武家政治が始まりました。また、この戦いで貢献した源氏側の常陸入道念西(別姓中村、伊佐)が当地伊達郡を貰い受け、親族が伊達を名乗ったことで伊達家が始まりました。伊達政宗の先祖にあたります。現存する有形の阿津賀志山防塁は他にも点在します。また近くに資料館もあります。【無料駐車場】徒歩1分の場所に整備【バリアフリートイレ】駐車場内、清潔#letsguide #発祥の地 #歴史の転換点 #聖地巡礼。
お墓の北側の道を西に入ると、土塁3条と間の空堀2本が観察できます。蓮のほうからは土塁の下側になり、土塁の段差が確認できます。
コロナ感染防止の為朝早くから行ってみた、広い敷地でゆったりと蓮の鑑賞できました。風当たりがいいのか…花は乱れてるのが多かったかな楽に人を避けられるとこも、コロナの息抜きにいいかも。
中尊寺ハスの株を譲り受けた蓮が咲いています。国道からのぼりを目印に進むとこの場所にたどり着くことが出来ます。駐車場は無く、路駐になります。あぜ道は雨の後はぬかるむような場所で、カエルがいっぱいいました。まだつぼみが多く、数は咲いていなかったのですが枯れて汚くなってしまう前に、近くで見れたので良かったです。
国見 中尊寺蓮を眺める防塁は、現在は発掘中。鎌倉幕府 源 頼朝 率いる軍を防ぐ為に、藤原泰衡が造らせた防塁。あつかし山から阿武隈川まで続いています。こちらの蓮は、この時の戦で打ち首になった藤原泰衡の首塚から発見された、中尊寺蓮の種を育て上げたものです。
1981年に文化庁より史跡の指定を受けた阿津賀志山防塁の二重掘り跡の存在する位置。ここに2009年に中尊寺より譲り受けた「中尊寺蓮」が植えられ美しい花を咲かせている。この蓮池より見る阿津賀志山はハッと息を呑む美しさがある。ここで奥州合戦最大の攻防戦、阿津賀志山合戦があったのだ。(2013年夏 佐藤弘弥記)”阿津賀志の山に向かいて蓮華咲く”
| 名前 |
阿津賀志山防塁 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 営業時間 |
[金土日月火水木] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
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2025.10.5の訪問。阿津賀志山防塁は奥州藤原氏が源頼朝が率いる鎌倉方との戦いのため築いた長さ約3.2kmに及び防塁の一部です。