二子橋の歴史を感じる旅。
ふたごばし親柱の特徴
二子橋の川崎側に隠れた歴史的な親柱があります。
大正14年に竣工した二子橋の重要な印象を残しています。
多摩川沿いで、周囲にある昭和初年の雰囲気を感じられます。
かつて隣を走る東急田園都市線が、まだ現在の世田谷線のような路面電車だった昭和初年、道路と線路が両方通る時代の橋だったことを物語る史跡です。親柱といって、橋の四隅にあったものの1本で、ここには名前のみ(通常は残り3本に漢字名、河川名、竣工年月が記載される。これは対岸の二子玉川側に存在)ですが、ふた「ご」である点にポイントがあります。というのも、この親柱があるほうの駅名は、開業当初「ふたごしんちまえ」を名乗っており、ネット上にはまことしやかな説として「双子死んじまえ」に聞こえるから「ふたこ」にしたのだ(橋の付替えのあった1977年改称)、という記事が散見されるように、昭和戦前~戦後の高度経済成長期まで、この「ふたご」の名称で長らく都県境の往来を見守っていた(3.11前後までは向かい側に詰め所のように交番もあった。現在は駅前に移転)ということを知ったうえで改めてこの親柱をながめると、感慨もひとしおのことかと思います。かくも歴史は身近なところで雄弁に物語っているという典型の1つと言えるでしょう。
大正14(1925)年7月竣工の二子橋(長さ440m)の親柱。江戸城赤坂御門から大山までの大山参詣街道である大山道は、瀬田村と二子村を「二子の渡し」の舟運で結ばれていたが、二子橋の竣工によって玉電も通る鉄道併用道路橋となった。
何だろうと思ったが、どうやら昔の橋の親柱みたいですね。あまり見かけない遺跡ですが、いいですね!歴史を感じます。
多摩川沿いにある史跡です。
大正14年に橋が掛かるまでは渡しだったんですね。
二子橋の川崎側に渡ると、分かりにくいですが植え込みの中に 石の柱と細長いプレート型の標識が建っています。石の柱は 大正14年に架けられた旧・二子橋の親柱です。昭和53年に今の二子橋が架け替えられた際に撤去された親柱がここに移設・保存されています。二子橋は代替わりしていることが分かって面白いです。反対側(東京側)の親柱も 玉川高島屋の北に保存・展示されているそうです。次は反対側も探索したいです。また、二子橋の完成は大正14年で、街道を行く人々はここ二子の渡しから多摩川を渡ったそうで、 徒歩舟や 馬舟。 川原には茶屋, 蕎麦屋。 舟待ちや川遊びで渡し場は大いに賑わったそうです。そんな時代から未だ100年は経っていないのにビックりしますが。。。
| 名前 |
ふたごばし親柱 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[日月火水木金土] 24時間営業 |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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川崎市高津区二子、二子橋の川崎側から二子橋の信号を渡った所に位置します。二子橋ができた当初大正十四年当時の親柱です。以下看板より川崎歴史ガイド◉大山街道ルート二子の渡し二子橋の完成は大正十四年。それまで、街道を行く人々はここ二子の渡しからを多摩川を渡った。徒歩橋、馬船。河原には茶屋、蕎麦屋。船待ちや川遊びで、渡し場は大いに賑わった。