1853年の歴史感じる品川台場。
| 名前 |
品川第五砲台場跡 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 営業時間 |
[日月火水木金土] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
3.0 |
| 住所 |
〒108-0075 東京都港区港南5丁目5−9 Express港南ビル |
|
ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
|
周辺のオススメ
品川台場はペリー来航後の1853年(嘉永6)に、江戸幕府により江戸湾品川沖に築かれた西洋式の砲台場として再来航に向け11基が計画され、建設が着工されました。形は外洋に向かって開く五角形の平面形で、1年4ヶ月の間に6基もの砲台場が築かれ、その一部がこの敷地内から発見されました。当時の西洋の築城技術を取り入れて、江戸湾の海上防衛の要として建設され、東京湾を守る重要な役割を果たしていました。幕府が直面していた国際的な危機感と、それに対応するための技術的・工学的な挑戦の一端を示しています。石垣の工法は隅部以外は間知石による「谷積み」で築かれましたが、隅部では長方形の角石を長辺と短辺を互い違いにして角を合わせて積み上げていく「算木積み」によるものでした。展示の石は南西隅部に使われた角石と角脇石です。取上げ調査により、角石には上下の各接合面に丸い小穴を開け、円柱形の鉄製ダボ(太柄)をはめ込むことで横方向へのズレを防ぎ、隅部の強度を高くしていたことがわかりました。また、石垣石には「〇に・」や「九」などの記号の他、「九曜」等の家紋などの刻印が確認されました。九曜紋は近世初頭に江戸城や外堀普請に用いられた東伊豆の石丁場(石切り場)の一部を管理していた熊本藩細川家の家紋です。江戸の初めに築かれた石垣と同じ石丁場の石が、幕末の国難により再び用いられていたことが明らかとなりました。今回出土した品川台場(第五)の一部は山砂水締めにより埋没保存を行い、この建物の下に今も存在しています。ここに展示している石垣石は、江戸末期から続く日本の防衛の歴史を今に伝えています。