紫陽花遊歩道で癒される。
塩田城跡の特徴
駐車場があり、城域の入口からアクセスしやすいです。
紫陽花の遊歩道を歩けば、塩田平の美しい景色が楽しめます。
北条一族の居城で、静かに歴史を感じられる場所です。
城域の入口に駐車場が有ります。昔の縄張には入口の左右方向に空堀があったようですが、いまは見当たりません。鳥獣柵まで緩斜面で、そこから勾配が急になってきます。昔の絵図を見ると、東の砦、西の砦の間に段々の曲輪が幾つもあります。主郭?はその上方で、お墓のある曲輪まで段々が続きます。主郭には切り岸と虎口に石垣が使われていて重要性が感じられます。お墓のある曲輪から西の砦に上がれそうで、途中まで行きました。山頂へ向かうほうはか細い馬の瀬で、西の砦のほうは断崖になり危険を感じ諦めました。
谷を段にして曲輪を造成している城跡 動物避けのフェンスを超えて登って行くと石垣で造られた見事な虎口が現れて来ます。さらに上には曲輪が続き、岩盤の尾根には砦の跡も残ります。
長野県最大の中世城郭跡(県指定史跡)。鎌倉幕府第6代連署北条義政がこの地に居館を構え、以後3代60年間統治した。戦国時代に入り村上義清が被官福沢氏をこの地に置き、弘法山の中腹まで改修して山城を築き、村上滅亡後は武田氏が拠点城として活用した。山城のある弘法山は古くから山岳信仰があり修験の場であったと考えられ、中腹の「虎の口」の石積みと石組み井戸は発掘調査から戦国時代以前のものと判明している。山岳信仰またはそれらに関する宗教施設を利用した山城と推定するが、どうであろうか。
この時期は虫が活発なので虫除け対策をしっかりして入ることをお勧めします。
あじさい小路があり、この時期は蜩が鳴くなか紫陽花の遊歩道から塩田平が見えます。
案内は有りますが、倒木が多く通路がわかりにくいです。特に砦跡へは、大変でした。
塩田城は土塁や虎口跡くらいしか遺構はなく観光客もおらず静かに散策できました。またこの塩田平は国宝や重文を保有する寺社が多く、写真の3重塔は前山寺のものです。ルートを絞り歩いて散策するほうが楽しめそうです。
紫陽花の満開の頃にもう一度来たいです!まだ、咲き揃わず(u003e_u003c)虫対策は必須です、お気をつけて😅
私はこの場所に着くために自転車を使った。 。アジサイの花はとても美しい。
| 名前 |
塩田城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 営業時間 |
[木金土日月火水] 24時間営業 |
| HP |
http://www.city.ueda.nagano.jp/kankojoho/shisetsu/shiseki/010.html |
| 評価 |
3.7 |
| 住所 |
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周辺のオススメ
鎌倉時代には鎌倉道を守る源頼朝に仕えた北条氏の支城。塩田城主要部への入り口に「塩田城跡」の石碑がある。曲輪や土塁、石垣等が残っている。礎石をもつ建物跡や空堀、敷石、井戸などの遺構や多くの遺物が出土した出土品は城跡近くの観光施設「塩田の館」に展示されている。ここには塩田城の復元想像図も展示されている。鎌倉時代北条国時、北条俊時と3代に渡って塩田北条氏の居城となる。元弘3年に鎌倉が新田義貞を中心とする反幕府勢に攻められた際は、塩田北条氏も鎌倉に上り、幕府方として戦うが敗れ、一族とともに滅亡した。室町時代南北朝、室町時代を通して村上義清の支配となる。長尾景虎(後の上杉謙信)と武田晴信(後の武田信玄)の戦いの幕開けとなった場所。戦国時代戦国期になると武田信玄の侵攻により城は武田氏の手に落ちるが、上杉謙信の助力を得た村上義清がこれを奪還し居城とする。しかし、数ヵ月後には武田氏に包囲され落城。再び武田氏の勢力下となり、飯富虎昌が城将となった。天文22年(1553年)に行われた第一次川中島の戦いの際には武田勢の本陣となった。