歴史感じる金谷山、富士山見晴らし。
日蓮宗金谷山大明寺の特徴
広大な敷地には歴史を感じる重厚な山門が魅力です。
釈迦堂の厳かな彫刻は文化財として一見の価値があります。
高台からの眺めは素晴らしく、晴れた日には富士山も見えます。
自然豊かなお寺様です。お墓参りの際には過に刺されますので対策を忘れずに!
法事で伺いました。晴れた日は遠くに富士の山を眺められるお部屋があり、居心地の良いお寺様でございます。入り口入りましてすぐ右手には大きな古時計がコチコチと静かな音色となっております。
お墓参りの機会がある時に訪問してます。基本的に平日はもちろん土日も駐車スペースは問題なく空いてますがお盆シーズンなどは混むので車で来る場合は注意。お寺はデカい、そして広いです、扉が開いていれば本堂のほうでも御参りもできます。お外でも御参りできる場所あり。本堂ではないですがマッチや線香などが買える場所があります。トイレも自販機があるところの近くにあり、比較的キレイな状態でした。お墓参りの場合、道中に急な坂道があるので足腰弱いと苦労すると思います。遠回りであれば急な坂は避けてるものの、階段がいっぱいあったりまぁまぁ歩くので大変です。ただ自然豊かで色々な生き物がいます。リスみたいなのからヘビなど様々で四季によって変わります、ただ夏場はここら一帯はすごく暑いので汗掻くのは必須になります。それに加えて虫もたくさんいるので虫除けがあるといいかもしれません(昔は蚊もたくさんいたのですが、最近は温暖化の影響で暑すぎるのか蚊が湧かなくなってます)
山号を金谷山と称します。後嵯峨天皇の第一皇子で、鎌倉幕府の第六代将軍となり、後に謀反のかどで、北条氏に追われた宗尊親王(一二四ニ~七四)が、当地に来て、谷あいから金色の光が発する光景を見て、金谷山と名付けたと伝えられています。この寺の起こりは、宗祖、日蓮上人が、米ヶ浜に上陸し、深田台に現存する龍本寺の寺域内に、三浦法華堂を建てました。明徳三年(一三九二)、第六世大明坊日栄が、深田の地が狭いため、この地を選んで、本堂祖師堂など、二十六棟を建て、金谷山大妙寺としました。大妙寺が大明寺と呼ばれるようになったのは、江戸時代に十六石の寺領を与えられましたが、その朱印状に大妙寺とするところを、大明寺と書き誤られたことによると伝えられています。当時は、三浦郡内にある日蓮宗三十二か寺の本山として、大いに栄えたばかりでなく、江戸城に登城するときには、十万石の格式を許されたといわれています。明治十九年、火災に遭い、仁王門を除いて、本堂や正行坊、戒善院、了仙坊など、すべてを焼失してしまいました。現在の建物は、住職・信徒の努力により再建されたものです。寺内の裏山には、太田道灌の子、太田資康の墓であるといわれる土まんじゅうがあります。太田資康は、三浦道寸義同の娘を妻としていましたので、三浦氏が北条早雲に攻められたとき、途中で北条勢を迎え撃って戦死しました。永正十年(一五一三)九月二十九日のことです。
広大な敷地と重厚な山門や伽藍などにかつての大名刹の名残を感じることが出来る。現在でも地域の大寺院である。随所に施された彫刻が見所。
天気が良いと富士山も確認できます。
日蓮宗の三浦半島における本山。太田資康公の墓所もある。元は横須賀汐入近くの龍本寺が旧境内地だったが、彼方を残したまま本山としての寺院機能をこちらに移転した様だ。開基の石渡家は今も三浦半島に子孫を多く残す。石渡家は座間氏の分流と伝わり日蓮上人を出迎え接待護衛した一族で、その場所が龍本寺、大明寺は石渡家菩提寺でもある。
高台に静か、穏やかな気持ちになります。
歴史を感じる良いお寺です大晦日には除夜の鐘をつかせて頂いてます。
| 名前 |
日蓮宗金谷山大明寺 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
046-851-1760 |
| HP | |
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
〒238-0031 神奈川県横須賀市衣笠栄町3丁目77−77 大明寺 |
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元々は名刹であったが、今の住職になってから極度の営利主義。古い檀家が離れると、寺も荒びます。