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❷【参考 あしなか(奥相模、下岩の「おこもり」行事 杉崎満寿雄氏) 1999年】岩神社での年2回おこなわれる「おこもり」を紹介した書であるが、そこに岩神社の説明が詳しく記載されている。が、ここでは、文が長くなるので、かいつまんでの紹介となる。それによると、岩神社の前身は 醍醐山仁王寺で真言宗当山修験のお寺でもあった とある。明治2年の神仏分離令により廃寺となった、が、仁王寺は岩神社と名を変えて廃寺をまぬがれた、とある。たしかに【新編相模風土記稿】に「仁王寺、護国山と。東川寺袈裟下。本尊不動。」と記載されている。岩明神として、神社として探していても見つからないわけである。又、書内で【明治3年12月の神社取調書上帳】が紹介されている一、御嶽大神 相殿 岩明神 宮社 間口7尺5寸・・云々一、祭神 日本武命、若武会彦命、勧請年歴掟は相分り不申候、社位、別段無 御座候。一、祭日 7月25日、11月15日一、造営の義 古来より神職ならびに氏子相談の上、一同にて修復造営仕来り、相分り不申候。一、当村の義は、当村下岩組鎮守にて、氏子四十軒 御座候他、社兼勤仕候儀は無御座候。古来より当社当職にて神務能在。醍醐御殿末流 護国山仁王寺 に御座候處、今般御布告付・・云々とある。_________________佐野川に岩神社との名がついているので、なぜ岩と名がついたのか、何か云われでもあるのだろうかと考えていた。神社の創立時に高橋庄左エ門が、大和国蔵王の里より持ち帰り奉斎したという鎮守蔵王石からきているのかと最初考えていたが、石が岩にはならんだろう、と疑問を持っていた。が、相模風土記稿に「正保の改め(1644年)の時に、佐野川の内、岩村と称していたがその後村名を省いて上岩、下岩と分けて小名とする」とあった。又「佐野川村、軍荼利日向介が祖先の石碑に“相模国高座郡渋谷庄佐野川郷岩村 天正十八年正月25日と刻す”」とある。風土記では此の地、佐野川は毛利の庄に入れられているが、天正18年の頃は渋谷の庄に入っていたようである、という説明文である。話は脱線したが、昔は岩村という村であったようで、岩村にある神社ということで、岩神社となったのだろう、と安易に結論を出した。相模風土記稿に下岩にあった神社が書かれているが、数が多く、又、名が一致しないこともあり、どの神社であるのかがわからない。【津久井郡神社誌】をみると、祭神に 御嶽神社 と 岩明神 とあり、安易に考えると明治に 御嶽社 と 岩明神 が合祀されたのであろうと考えられるが、その名の記載はない。別の資料を期待したい。❶【参考 津久井郡神社誌 1963年】岩神社(1963年の書による)[祭神]御獄大神(日本武尊・やまとたけるのみこと)岩明神(若武合彦命・わかたけのひこのみこと・孝霊天皇の皇子)創立年代は不詳であるが、植村佐渡守の1子、高橋庄左エ門が山和国蔵王の里より遷したと云い伝える。高橋庄左エ門が大和国蔵王の里より鎮守蔵王石を守護し此の所へ奉斎したと伝える。明治6年(1873年)7月 村社に列する[鎮座地] 藤野町佐野川字下岩2487年[祭儀] 例祭9月5日 春祭4月上旬 秋祭11月下旬 歳旦祭1月上旬[境内地] 485坪1合3勺[明治3年(1870年)12月 の調書による]_[祭日] 7月25日 11月15日_[除地高] 2斗6升6合_[末社] 榛名神社 疱瘡神 白山大神 保食神。