365段の先に、温泉の神様。
伊香保神社の特徴
365段の石段を登りきった先に位置する神社です。
上野国三宮として825年の歴史を持つ信仰の地です。
温泉・医療の神様である大己貴命を祀るパワースポットです。
紅葉がきれいな時に行けて良かった。石段街にお店がたくさんありますので階段も難なく登れたわ。その先にある神社。眺めが素晴らしかった。
伊香保温泉の石段街へ。まず伊香保神社まで石段を上まで登ると365歩だそうで、香川県の金比羅山に比べると10分の1くらいなのに、結構きつかったです。
伊香保石段366段上にあります。三連休中日こじんまりしてますが参拝に並んでました。御朱印は土、日のみ書いてくれます。平日は置いてあるだけかな?鶴亀の絵を書いてくださり、伊香保神社下に社務所あり預けて参拝にいきました。ジンジャーエール頂きましたがホントにピリッと来ますが、いいリフレッシュです。店員さんから渡されるとき外側に巻く紙の裏がおみくじになってるので選んでくださいと言われました。参拝には10分程度あれば充分なので旅行ついでに寄るにはちょうどいいかなと思いました。
2025/08/03参拝長い階段の参道はたくさんのお店に囲まれてとても賑やかです。その頂上にある伊香保神社はこじんまりながらもとても趣のある神社でした。さらに奥に進むと、温泉が飲める泉飲所や露天風呂があり、温泉をありがたく頂きました。次回は露天風呂にチャレンジしたいです!
石段街を登って行くと一番上に鎮座しています。365段を一気に行くと辛いので途中でお店に寄り道しながら行きましょう😄たまに後ろを振り返ると眺めが良いですよ。平日に参拝したので社務所は開いていませんでした。御朱印は土日だけ授与されるみたいですね。今回はちょっと離れた所にある渋川八幡宮で書き置きをいただきました。
伊香保温泉の石階段の最上部の神社です。やはり1番下から階段を歩いて、途中のお土産屋さんや飲食店に寄りながら楽しんで参拝するのがいいと思います。
週末に伊香保温泉に立ち寄ったので訪問しました。伊香保温泉の石段街の1番上にいます。365段ありました。一番最下部の駐車場に停めてから歩くと結構キツいです。サンダルとか歩きにくい靴だと気をつけて下さい。頂上は景色が良く温泉街がよく見えます。神社としてはコンパクトに収まっており、境内を周るのはあっという間に終わります。石段の途中に御朱印の販売所があります。混んでない時は良いですが、並ぶのは大変かも。長閑な時期に訪問するのが良いと思いました。
2024.05訪問365段の石段を登りきった、石段街の最上部に位置する神社⛩️825年に創建され、上野国三宮として古くから信仰を集めている祭神は少彦名命・大己貴命で温泉・医療の神様大己貴命は大国主命とも呼ばれ、子宝、縁結び、金運にもご利益があるというパワースポットで、石段を登りきると金運に恵まれるという言い伝えもあるらしい🤔温泉街や上州の山並みを一望できます。
こちらの神社は龍神様と聞いてお参りしました。階段が365段あり途中まで車で行き途中から階段を登りました。下から登ると途中でバテてしまいますね。意外とこじんまりした神社なので一巡りが早いです。神社が高い位置にあるため空気が澄んでいて気持ちいいですね。山々の景色も楽しめます。
| 名前 |
伊香保神社 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
0279-72-2351 |
| 営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
| HP |
http://www.city.shibukawa.lg.jp/kankou/ikahoonsen/streetsofikaho/p000202.html |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
|
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『御祭神』大己貴命(大国主命 葦原色許男神 八千矛神 宇都志国玉神)少彦名命『本殿 拝殿』伊香保温泉街三百六十五段の最上段に鎮座し、南に榛名山を配し、北東には、越後連山が眺望される位置にあり、明治十一年(一八七八年)春、伊香保大火により焼失し、明治十六年に再建、その後大正・昭和の改修そして平成・令和の大改修を経て、現在に至る。『沿革』第十一代垂仁天皇朝時代(紀元前二九~七〇)の開起と伝えられ、第五十四代仁明天皇朝 (八三三~八五〇)承和二年(八三五)九月十九日名神大社に十五階の位階については、承和六年(八三九)六月従五位に列す。累進して第五十七代陽成天皇朝(八七六~八八四)元慶四年(八八〇)従四位を授けられる。第九十一代後宇多天皇朝(一二七四~一二八七)建治元年(一二七五) 正一位に列す。第六十代醍醐天皇(八九七~九三○)の延喜五年(九〇五)に編纂が始められた法律執行細則集のなかの神名帳に、伊香保神社も記載され、朝廷公認の神社となった。平安時代のこの延喜式神名帳には、全国二八六一の神社が登場、これらは、全て歴史のある神社で式内社と呼ばれた。なお延喜式神名帳は、延長五年(九二七)に完成した。その後、鎌倉時代初期、各国ごとに一位の神社を定め、大和国―大神神社、信濃国——諏訪大社などのように「一宮制」ができたが、これに準ずる二宮、三宮・・・・・を定める国もあった。上野国は、十二宮を定め伊香保神社は、一宮貫前神社、二宮赤城神社についで、三宮の神社となった。明治維新後、太政官布告によって新たに近代社格制度が敷かれ、政府管轄の神社(官幣社)、 地方官管轄の神社(国弊社)の次に、地方公共団体管轄の神社 (府県社)などができ、伊香保神社は、県社を賜ることとなった。【現地案内板より抜粋】伊香保観光の定番の一つ、伊香保の石段最上部に鎮座されています。