江戸参勤交代の宿駅、歴史の深さを感じて。
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| 名前 |
お猿塚(祠) |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
3.0 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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お猿塚碑の記寛永十一年(一六三四年)、小牧宿は人馬継立てに必要な宿駅としてほぼ完成し、同十三年(一六三六年)、初めて中仙道を通って江戸参勤交代が行なわれました。当時の尾張藩主義直公は、江戸参勤交代の帰りには小牧宿で一服し、小牧御殿から小牧山の風景を愛でたといいます。その義直公から愛猿をもらいうけ、宿ぐるみで可愛がりましたがまもなく死に、人々は悲嘆にくれました。それを知った義直公は自ら猿の絵を描き、宿の衆に下されました。宿の衆は猿の供養と称してその絵を旗にし、熱田神宮に参拝するのが例になっていました。義直公の愛猿の屍を葬りましたところがお猿塚であります。お猿塚の碑は西林寺にありましたが昭和二年(一九二七年)の秋、この辺で陸軍大演習のあった直前、旧制小牧中学(現小牧高校)が陛下の御座所になることを知った町の衆は、この碑を旧制小牧中学の正門前、百米ほどのところに持ち出し、碑のとなりには小さな社殿を据えつけました。その後、地域の事情により現在の場所に至っています。