北条と武田の戦場、歴史の痕跡。
深沢城跡の特徴
深沢城跡は戦国時代の武田と北条の激闘の舞台で歴史を感じられます。
三日月堀や郭の様子が良く残っており、戦の痕跡が見られます。
夜景が素晴らしく、見晴らしの良い本丸跡までの散策が楽しめます。
城跡用の駐車場は無いので案内板の向かいの川の柵沿いに停めてまだ暑さの残る9月初めに日の出とともに訪城しました。
北条綱成の生涯の最後を飾る深沢城の戦いの舞台となった場所。駐車場はないが交通量の少ない道であり道が広めなので短時間なら路肩に停車しても大丈夫だと思われる。石碑と説明板あり。城遺構が残されているが草が生い茂っているので中には入らなかった。
近くに寄ったついでと言っては失礼ですが、台風の雨のなか、登城させていただきました。結論から言うと想定以上のよく整備された城跡でした。石碑と案内板を左手に見て大手道と思われる道を本丸に向けて歩いていきます。三日月堀、馬出や廓(現状では耕作地)がとても良い状態で保存されてます。大手道を歩いていると天然の要害の馬伏川のせせらぎの音が聞こえます。大手道は耕作地への通路にもなっているので大変よく整備されて歩きやすかったです。昨年来、熊のビビリになっているので、往復30分ほどで登城は終わりました。石碑の前に車1台分のスペースはありますが生活道路なので素早く登城しましょう。
武田と北条の間で争われた記憶にも残っている。二つの川に挟まれた台地上にある城で曲輪はほぼ水田となっており旧状は留めていないが曲輪間の堀や馬出がよく残されていた。三日月堀も薮に覆われているが確認できた。
2018/8/9超有名な城でも、今は意識して見ないとただの田畑山林である。この深沢城をめぐって、北条と武田が戦いを繰り返していたことは、今となっては全く想像もできない。城跡西側には結構大きな堀跡が遺っており、ここは是非とも見てほしい。
現在は水田となっており案内が無いと分からない、入り口の案内板を写メして案内の杭を頼りに散策して下さい、歩き易い装備で行って下さい木々に覆われていますが良く見ると堀の跡等が分かります本丸跡迄行かれると見晴らしが良くなっています、絵葉書で見た事があるような感じです駐車場はありませんので考慮願います。
築城年代は、明確な記録が残っていないため不明ですが、16世紀初頭に今川氏規の命により築かれたと云われていますが、それ以前に葛山氏の流れを組むと云われる深沢氏の館が在ったと云われています。いずれにしても、今川氏が駿河・甲斐・相模の国境と足柄街道を守る城として、整備したと伝わっています。北条氏の支城として、黄八幡で名を馳せた【北条綱成(北条道感)】が城主であった時期もあります。境目の城として、北条氏と武田氏が争奪戦を繰り返しますが、武田氏滅亡後は北条氏への備えとして徳川氏の城となり、北条氏滅亡後は、廃城となりした。現在も馬出しや空堀などの遺構が良好な状態で残っており、近隣に在る大雲寺に大手門が移築され現存しています。
当時の曲輪が想像できる。2つの川に囲まれた堅固な作り。近くにある信玄塚から眺めると、より当時の様相がイメージできる。
後北条、武田、徳川と支配者が移り変わったお城とのこと。各曲輪が田んぼになっている珍しい城跡で、何か美しい感じがします。川を利用した縄張りで曲輪に面する堀も深い。武田流の丸馬出しも残っています。
| 名前 |
深沢城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 電話番号 |
0550-83-4770 |
| 営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
| HP |
https://artscouncil-shizuoka.jp/culture-resource-db/detail.php?id=1021 |
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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歴史的にも有名で土塁や堀などよく残っているが、半分くらいは民間地の田んぼなどになっていて、稲を刈り取った後に訪問したほうがうまく見学できると思う。その影響か駐車場はなく、せっかくよく残っている縄張り遺構を長く見学し難い。非常に勿体ない城趾。