大磯町で過ごす静かなひととき。
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| 名前 |
梨本宮守正王別邸跡 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
5.0 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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大磯町の閑静な住宅地にあった。皇族の別邸。しかしながら現在は跡形も無いため、そこにあったかどうかは伺い知れません。・梨本宮守正親王…旧皇族、大日本帝国陸軍大将→陸軍元帥、大勲位功4級久邇宮(くにのみや)朝彦親王の第4皇子として産まれる。梨本宮家を相続するにあたり守正と改名する。満20歳になって貴族院議員となる。明治29年(1896年)陸軍士官学校を卒業し、第11歩兵連隊隊付として従軍、旧肥前佐賀藩の鍋島直大侯爵の次女の伊都子(いつこ)と結婚し、2人の女子をもうける。フランス留学、帰国後に日露戦争で大日本帝国統合参謀本部に所属し、乃木希典(のぎまれすけ)大将率いる第3軍団付武官として出征、武功を挙げ功四級金鵄(きんし)勲章を受章、日露戦争後に再びフランスに留学をして、フランス陸軍大学校を卒業し、第1次世界大戦で第16師団長となり、帝国陸軍大将→帝国陸軍元帥となる。大勲位菊花章頸飾を受章し、第2次世界大戦でも要職を歴任後に退役するも、敗戦後に連合国最高司令官総司令部【GHQ】よりA級戦犯で逮捕される。皇族で唯一逮捕された人物で巣鴨プリズンで拘束された。しかしながら、守正親王は大戦中は軍の中心から程遠い部署を担当していたため、不起訴処分となる。一説によれば戦勝国が日本の皇族への責任を負わせるための所謂スケープ・ゴートにされたと推測される。昭和21年(1946年)貴族院議員を辞職、昭和22年(1947年)皇籍離脱。昭和26年(1951年)自宅で死去。享年76歳。アクセスJR東海道本線、湘南新宿ライン、上野東京ライン、大磯駅から徒歩30分。