幕張舟溜跡公園の隠れた漁撈碑。
漁撈碑の特徴
幕張舟溜跡公園の南端に位置しています。
かつて海だった場所に建つ歴史的な記念碑です。
内陸まで海が広がっていたことを示しています。
幕張舟溜跡公園の南端にひっそりある【漁撈碑】です。しかも公園の外に向かって建てられています。当時は海の方向を向いていた?漁撈碑の内容は難読ですが、隣の碑の内容です。【古来より浜稼場と称し先輩諸氏が幾多変遷の難関を経て東は検見川堺より西は鷺沼境まで二二〇万余坪の漁場を確保してきた漁民はあさり蛤汐吹及びのり等の漁に恵まれ又汐干狩場として関東一円はもとより遠く長野山梨福島各県の人々にも愛され親しまれたこの海は昭和四十八年八月を最後に惜しまれつゝ埋立てられた茲に今日までの諸々の感謝をこめ組合解散の記念とする組合長林田伍朗氏の委嘱により碑文を跡す千葉市長 松井 旭】
| 名前 |
漁撈碑 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
35°39'24.2"N 140°02'55.0"E, 花見川区 千葉市 千葉県 262-0032 |
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かつては現在の14号線の100mくらい内陸までが海でした。それが1960年代後半から埋め立てが始まり、1970年代後半には現在の東関道あたりまでが陸化します。そして1980年代後半にほぼ現在の海岸線が形成されたのです。ところで、この石碑は「幕張舟溜跡公園」に置かれています。この公園ですが、千葉市の広報によると「かつてノリ養殖の漁港として賑わっていた場所を埋め立て、公園として整備しました」とあります。現在周囲には商業施設や住宅が密集しています。しかも海岸線は数キロ後ろにあって、ほとんど海の気配はありません。しかし、1967年発行の国土地理院の地図によると現在の公園そのものが「港」で、その裏手にある「若葉緑地」が海岸になっていることが確認できます。確かにこの周囲は海だったのですね。隔世の感があります。たまたま近くのディーラーで車の点検をしたので、待ち時間に見に行ってきました。「漁撈碑」には、この船溜まりが昭和48年(1973年)8月に埋め立てられたとの記述があります。またその時点での漁業組合員数が617人であったとも記されています。結構な数の組合員数でびっくりしました。その横には「幕張漁業協同組合総代」と銘打たれたものがあります。こちらには99人の名前が刻まれています。おそらく役付きの組合員の方なんでしょう。そしてもう一つが「顕彰碑」です。これはかなり古いもので、埋め立てよりずっと前に建てられたものと思われます。石碑の材質や字体から判断すると、おそらく明治期以前のモノでしょうか。何が書いてあるのか興味をそそられますが、風化していて解読不能でした。写真をPCでいじってみましたが、よくわかりません。拓本を取るしかないようですね。2025.4.5