大橋五條天神社の歴史を知ろう。
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| 名前 |
大橋五條天神社 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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書により「大橋五條天神社」をしらべてみます甲斐国志に此の場所の記述があります。それは「玉緒神社」の稿にあります。この内容は 「玉緒神社」にも記載しています。野宮の一節をうたうと「恐ろしいことが起こる」と言われています。野宮は、光源氏との別れを惜しむ六条御息所の物語です。「去る」を連想させるためでしょうか?その理由は解らないそうです。______________❶【参考 甲斐国志 1814年】國玉神社の箇所から抜粋〇[行逢橋(ゆきあいばし)と五条天神祠]行逢橋(ゆきあいばし)のそばには、五条天神の祠(ほこら)があります。濁川の東岸に位置しており、除地(免税地)として40坪余りの広さがあります。古くからこの場所は「行逢橋の森」としてその名が遠方まで知れ渡っていたと、地元の人々の言い伝えに残っています。また、古歌にも詠まれています(「甲斐名所和歌類抄」に載っていますが、作者は不明です)。「行逢(ゆきあ)はしの 森の木陰(こかげ)に 一夜(ひとよ)寝ん さぞつらからん あすの猿橋(さるはし)」(和歌の意訳)「今夜はこの行逢橋の森の木陰で、一夜を明かすことにしましょう。ここで体を休めておかなければ、(長旅の疲れで)明日、大月の険しい猿橋を越えるのがさぞかし辛くなってしまうでしょうから」〇【行逢橋の話】行逢橋は、昔は長さが108間(約196メートル)もあり、そのため「大橋」とも呼ばれていました。現在はわずか4〜5間(約7〜9メートル)ほどの小さな橋になってしまいましたが、古い由緒があるため、今でも幕府(官)が管理し修理を行う「御普請所(ごふしんじょ)」となっています。地元の人々の言い伝えでは、「この行逢橋の上で都留郡の「猿橋」の話をしてはいけない」といわれています。逆に「猿橋の上でも「行逢橋」の話をしてはいけない」ともいわれています。その理由は、「あちら猿橋」はその「谷の深さ」を誇り、「こちら行逢橋」はその「長さ」を誇っているため、互いに競い合っているからでしょうか。あるいは、「猿(去る)」という言葉の響きが「逢う(行逢橋)」の正反対であるため、縁起を担いで「逢う場所で去る(猿)ことを忌み嫌う」という意味かもしれません。また、能や浄瑠璃の演目である『野宮(ののみや)』の一節をここでうたうと、必ず怪奇現象が起こると言い伝えられていますが、その理由は定かではありません。(詳細は、本書の「山川の部」や「古跡の部」をあわせて参照してください)