日本の絹産業の礎、世界遺産体験。
高山社跡の特徴
群馬県藤岡市にある世界文化遺産で、修復中の建物が印象的です。
高山社跡は富岡製糸場と絹産業遺産群の一部で非常に歴史的です。
スタッフの方々が丁寧に説明してくれるので、興味深いお話が楽しめます。
入場料500円はちょっと高い。説明をフルでしてもらいましたが、メインの母屋は復元中で土台しかありませんでした。
2014年6月に日本で18番目に世界遺産に登録された、富岡製糸場と絹産業遺産群の施設の一つです。受付の方から親切で、施設の説明はボランティアの方に時間が無いと言うと、指定の時間内に主要な説明を丁寧にしていただけました!メインの母屋は一旦解体して、再建築し当時のままに復元するそうです、またゆっくりと訪れたいです。
富岡製糸場と絹産業遺産群の構成資産の一つと言うことで訪問しました。平日昼間だったので、人が少ないのもあり、係員さん(ボランティアさん?)に丁寧に説明していただけました。丁度母屋が保存修復工事と言うことで、完全にバラされた状態でしたが、大工さんが直している光景は今しか見られないので、良い機会だったと思うことにします。世界遺産と言うことで、修復(手を入れる)のは難しいかと思いきや、完全にバラしてもう一度組み戻せるのは、日本の木造建築と職人の誇るべき技術だなと感じた次第。まだあと数年修復にかかるそうですが、数年後にまたお伺いしようと思います。
2025年2月16日来館しました。高山社は只今建て直し中です。建物の土台から見られます。解体した柱は継手をして再利用するそうです。完成が楽しみです。近くに資料館があります。
日本世界遺産「富岡製糸場と絹産業遺産群」の構成遺産。現在、復元中との事で建物はありませんが、しっかりと説明して頂きました。
【令和6年5月初訪問】GWに家族で初訪問。富岡製糸場などと共に世界遺産登録がされたため、訪れてみたかった場所です。ココは、養蚕技術を学ぶための学校です。現在は、母屋が解体されています。理由はついこの前までおばあちゃんが住んでおられたため、窓がサッシに変えられていたのを、当時の姿に戻す為とのことでした。宮大工さんの技術が凄いことが良く分かります。学芸員の方が丁寧に説明して下さいますので、大変勉強になりました。
建物は今修復中で新たに完成は令和9年頃だそうです。ガイドの方が色々説明してくれたのが良かったです。
「世界遺産」「修復中のため建物が無い」「情報館で養蚕の歴史が無料で学べる」「猫神に関する資料」2024年現在、高山社は修復と耐震補強のため撤去中です。数年かかる見通し。観られなくても入場料500円がかかりますのでご注意ください。駐車場に近い施設で、高山社の歴史について無料で説明を受けられます。猫神様の御札などの展示があります。【無料駐車場】十分な広さ#letsguide
ライトアップイベントがあると聞き出かけて来ました✨ 普段は夜は開館してません。 それに今は高山社は改修工事のような事をしていて家屋がないので来る方は情報を調べてから来たほうがいいかと思います。
| 名前 |
高山社跡 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
0274-23-7248 |
| 営業時間 |
[月火水木金土日] 9:00~17:00 |
| HP |
https://worldheritage.pref.gunma.jp/tomikinu/index.php/takayamasha-sericultureschool/ |
| 評価 |
3.6 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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2026.3【入場料】500円養蚕法の1つである「清温育」を提唱し、「養蚕改良高山社」の創始者である高山長五郎の生家跡地。見た目のメインとなる蚕室(養蚕用家屋)は現在、解体補修中で、完成は令和10年を予定しているそうです。訪問時は今だけ見れるものとして、建物の礎石を見せて頂けました。また世界遺産のルールとして、残存していた建物の修復は良いのですが、残っていない建物を再建することは不可なのだそうです。跡地ですので、自分で見るだけではわからないと思いますのでガイドの方が説明して案内してくれます。約40分程度見ておくと良いと思います。【概要】「高山社跡」は、世界遺産『富岡製糸場と絹産業遺産群』の構成資産のひとつであり、国指定史跡です。高山社跡は「養蚕改良高山社」の創始者・高山長五郎(生没年1830~1886)の生家で、養蚕法「清温育」の研究と社員への指導を行っていた場所です。長五郎は明治6年(1873)「養蚕改良高山組」を組織し、自宅で養蚕法の改良と組合員への指導を行いました。明治17年(1884)には「養蚕改良高山社」と改称し初代社長に就任しています。そのあと、教えを請うものが増えたため明治20年(1887)に藤岡町に事務所と伝習所を移し、自宅は高山分教場として後進の指導を続けました。現在は蚕室(養蚕用家屋)と付属屋が残っておりますが、周囲にも蚕室の痕跡が認められるため、現存する建物だけでなく敷地全体が世界遺産構成資産、また、国指定史跡となっています。