六本木一丁目駅からの美術探訪。
六本木一丁目駅の特徴
周辺はオフィスビルが立ち並ぶビジネス街です。
この駅は海外からの観光客にも人気があります。
南北線六本木一丁目駅は麻布台ヒルズのアクセスが便利です。
麻布台ヒルズへ行く際に利用しました。18時頃だったのでちょうど帰宅ラッシュと重なり、ホームや改札周辺はかなり混雑しています。駅からは麻布台ヒルズまでスムーズに歩ける動線になっていて、アクセスは非常に良いです。構内にある黄色の大きな案内図や掲示板は、外国語表記も充実していて分かりやすいと感じました。初めての人や観光客でも迷いにくい工夫がされています。駅自体は綺麗ですが、通勤時間はエスカレーターに長い列ができることもあるため、急いでいる時は注意が必要です。全体的に利便性が高く、このエリアを移動する際の拠点として使い勝手の良い駅だと思います。
【 2026/05/09(土)再訪 】東京メトロ南北線の「六本木一丁目駅」は、過去に2回、「泉屋博古館東京」へ行く際に利用させていただいたことがありますが、今回は「大倉集古館」へ行く際に利用しました。中央改札付近や駅周辺の写真📷&動画🎥を添付します。
東京メトロ南北線の主要駅。周辺に高層ビルのビジネス街&大使館&📺テレビ東京&BSテレ東&外苑東通り沿いに麻布台ヒルズありセレブふさわしい街🗼東京タワーの通り道です。
【20251221】東京メトロ南北線の六本木一丁目駅を利用できる駅改札前です。平日と土曜日に何度か利用してますが、思っているよりも閑散としており、入口が他にあるためにそちらの利用が多いのかもしれません。
歓楽街の六本木駅周辺からは少し離れていて、主にオフィスビルが並んだビジネス街といった感じの街並みが駅周辺の様子です。
外国人にもたいへん人気のある地下鉄の南北線の駅です。ただ最終電車が比較的に早いので、十分な注意が必要です。友人たちと夜に飲んでいて、何回も終電に乗り遅れたことがありました。周囲の景観には恵まれていませんが、非常に賑わっている場所のひとつとなっています。目黒駅、永田町駅、溜池山王駅、飯田橋駅、後楽園駅などで他の線に接続しています。
南北線六本木一丁目駅は麻布台ヒルズの最寄駅のひとつです。周囲は超高層ビルに囲まれたビジネス街となり、繁華街六本木からは離れているエリアです。将来的に品川駅まで南北線が延伸され、乗り換えなしで品川まで行くことができるようになります。
| 名前 |
六本木一丁目駅 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
3.7 |
| 住所 |
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周辺のオススメ
六本木一丁目駅は、東京都港区六本木一丁目にある、東京メトロ(南北線)の駅です。平成12年(2000年)営団地下鉄の南北線の延伸に伴い開業しました。平成16年(2004年)営団地下鉄の民営化に伴い、東京メトロの駅となりました。平成28年(2016年)住友不動産六本木グランドタワーへのアクセス改善のため西口改札を新設しました。令和6年(2024年)麻布台ヒルズへのアクセス改善のため南改札を新設しました。島式ホーム1面2線を有する地下駅です。1番出入口への階段・エスカレーター部の壁面は「アジサイの道」をイメージして、港区の花「アジサイ」のレリーフタイルを配置しています。3番出入口方面への通路は、「公園の遊歩道」をイメージして、白色タイルを基調としながら6色のタイルで「風の流れ」と「飛ぶ鳥」を表現し、一部に樹木や床面には水面を表現しています。通路壁面には「六本木の夜景」をシルエットにしたステンレス鏡面のエッチングレリーフ板を配置し、利用者へ「憩い」を与える歩行空間としています。駅のある「六本木(ろっぽんぎ)」という地名は、上杉、朽木、高木、青木、片桐、一柳といった『木』がつく姓を持つ6つの大名屋敷があったからという説が有力です。江戸時代は、元禄の頃の俳人の服部嵐雪に、「あな悲し鳶に取らるゝ蝉の声」という六本木の情景の句があるくらい何もないところでした。明治時代は、陸軍の歩兵一連隊と三連隊が置かれてから、兵隊の暮らす町として発展していきました。昭和20年(1945年)大東亜戦争の敗戦後は日本の軍隊のあとにアメリカ軍が進駐してきて町の様子を一変させました。陸軍の敷地はアメリカ進駐軍によって接収され、そこにバーディバラックと呼ばれる兵舎が建てられていきました。昭和20年代、オキュパイド・ジャパンの頃の六本木は、米兵はじめアメリカ人の多いいわゆる「東京租界」で、日本人はなかなか近寄れませんでした。昭和27年(1952年)の対日講和条約の発効によるオキュパイド・ジャパンの終息、さらに昭和28年(1953年)の朝鮮戦争の休戦により、外国人は減っていきました。最初に戻ってきた日本人は米軍基地で演奏していたジャズメンで、それに続いて金持の若者たちが「アメリカ」のイメージに惹かれて来るようになりました。昭和34年(1959年)には、米軍施設が日本に返還され、防衛庁に移りました。同年には、日本教育テレビ(現在のテレビ朝日)が六本木に出来て、テレビ関係者や芸能人、さらに芸能人を追う若者たちが集まるようになりました。東京オリンピックがあった昭和39年(1964年) 地下鉄日比谷線が開通し、それまでも都電、バスはありましたが、六本木には鉄道がなく、東京の中心にありながら交通の不便なところでしたが、日比谷線の開通によって便利になり、「国際色豊かな繁華街」と「洗練されたオフィス街」という二つの顔を併せ持つ街となりました。