建穂神社の神事を待つ静寂。
建穂神社の特徴
鳥居の右横に看板があり、神事の準備が整っています。
静岡浅間神社とお付き合いのある由緒ある神社です。
階段での七五三の写真撮影が定番の歴史ある神社です。
観音堂からは10分程度離れている。こちらの駐車場はどこかわからなかった、歩きで来て良かった。境内にはベンチもあり思ったより広い。
午後五時から神事があると、鳥居の右横に看板があり、階段を登ると拝殿は、紅白の布などに飾られ、いまかいまかと神事を待っているようです。拝殿を正面に見て左側に、大杉の看板があり後ろを見ると、とても大きな切り株(伐ってから年月が経っているように見えました。)があり、見上げると、ぽっかりとそらが見え、とても大きな木だったことが見て取れます。右側の少し離れた所にこの切り株に勝るとも劣らぬ大きな杉の木があります。大杉の切り株の近く(大杉の看板から本殿が、6時10分方向だとすると6時の方向)にイチョウの木がありこちらもとても大きい木です。ギンナンがたくさん落ちている事から雌と見ました。令和6年10月13日太さのわりに高さがある木です。
延喜式内社。当時にどのように安倍川・藁科川が流れていたかは不明だが、きっとこの神社の前には藁科川の扇状地が開けていて、水の便も良かったのではないか。
式内社 駿河國安倍郡 建穂神社 旧郷社である。当地には、天平年間に建穂寺が建てられており、建穂寺が当社の別当であったとも考えられている。瑞祥山 菩提樹院 建穂寺(ずいしょうざん ぼだいじゅいん たきょうじ)は、本尊が行基作の千手観音で駿河七観音の3番札所であった。明治初期には廃仏毀釈と火災により、寺院としては現存しない。神社の境内の向かって左の山道を15~20分登ると観音堂跡がある。又、現在、西約500mのところ(建穂公民館の隣)に、観音堂が建てられており、地域の人々によって多くの仏像が管理され、大切に保護されています。
神の御加護を。
子供の頃、ここの神社の階段で七五三の写真撮影をするのが定番でした。
静岡浅間神社とお付き合いがある由緒ある神社。なんだけど特に見どころはない。
自然で囲まれている長い歴史ある神社!Another old shrine lost in the nature!
| 名前 |
建穂神社 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 営業時間 |
[金土日月火水木] 24時間営業 |
| HP |
http://www.shizuoka-jinjacho.or.jp/shokai/jinja.php?id=4406133 |
| 評価 |
3.5 |
| 住所 |
|
周辺のオススメ
建穂神社(たきょうじんじゃ)。静岡県静岡市葵区建穂。式内社(小)、旧郷社。江戸時代は「馬鳴(まなり)大明神」と称していた。主祭神:保食神 天照皇大御神(合祀)猿田彦命 須佐之男命資料によると、この地は建穂寺の跡。建穂寺は「神仏混淆」の寺として中近世大寺であった。天平年間に建穗寺が建立された時、建穂寺は馬鳴大明神と称していた建穂神社の境内に割り込んだといわれているが、それは、建穗神社の里宮ではなく、奥宮の境内に建てられたのである。建穂寺が馬鳴大明神(建穗神社)の別当となり、奥宮の方は、建穂寺の発展と共に存続したが、里宮の方は廃社になつてしまつた。服部村(羽鳥村)に「古社地」と称する里宮の跡地がある。明治初年(1868)の神仏分離令につづく廃仏毀釈により建穂神社が残り、寺は廃寺となってしまった。祭神は、保食神・天照皇大御神だが、一説には、日本武尊。保食神は、建穂の「穂」から、日本武尊は、「建部」との近似からの付会であるとも考えられる。服織という地に隣接しており、建穂地域を中心に秦氏の一族が居住していたらしく、また、「馬鳴大明神」の馬鳴は、蚕虫に化生した馬鳴菩薩によるもの。つまり、養蚕を営んでいた人々によって祀られた神社らしい。「吾妻鏡」承元四年の記述には、駿河国の建穂寺の鎮守である馬鳴大明神が、稚児に託し、酉年に兵乱が起ると予言したとある。とあります。