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庚申塔が並んでいますが 一番右は「右なりた」の石碑です。左面には安永6年 願主日本橋左内町 和泉屋甚平衛 とあります。和泉屋は飛脚問屋で甚兵衛はその主人である吉村甚兵衛のことです。和泉屋の主人は代々吉村甚兵衛を襲名します。安永6年は6代目頃になり、9代甚兵衛のときに明治維新を迎えます。前島密が郵便制度創設したのに伴い、和泉屋は飛脚から運送会社の陸運元会社になります。陸運元会社は内国通運、国際通運と形を変え、日本通運になります。飛脚問屋和泉屋の名を残す希少な石碑です。2026/4/24追記こちらの道しるべは現在の成田街道と東金街道分岐(成田街道入口交差点)から100mほどに北にあります。なぜこのような場所に設置されたのか謎でした。確かに成田街道は右にカーブしており、まっすぐ進む小道があるので間違える可能性もないわけではないでしょう。だからといってわざわざ「右なりた道」という道しるべを建てるには必要性があるとは思えません。ヒントは右面に「左とおかね道」とあり、さらにこの記載は削ってありほとんど読み取れません。おそらくですが、これは単純に左なりた道 右とおかね道とすべきところを「左右」を逆に彫ったのではないでしょうか。そう考えると①正面に「右・・・」 右面に「左・・・」 と記載されていること。②成田街道入口交差点ではなく、右に曲がる場所にあること③「左とおかね道」を削ったことの筋が通ります。なお、現在の成田街道は右にカーブしていますが、江戸時代は小道と鋭角に交わっていたそうで、道しるべ自体も少し(10m程度?)北にあったそうです。2026/7/20 追記札場の庚申から分岐させ、地点登録をしました。