小諸市で感じる日本の歴史。
小林貞吾記念館の特徴
小諸市出身の彫刻家・小林貞吾の作品が展示されています。
日本美術院院友の貞吾が手掛けた彫刻を観賞できます。
小林貞吾記念館で日本の歴史に触れる貴重な体験が得られます。
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You can enjoy fascinating pieces of Japanese life and history
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| 名前 |
小林貞吾記念館 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
0267-22-8376 |
| HP | |
| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
|
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小林貞吾 彫刻家小諸市諸出身の彫刻家(1913~1944)日本美術院院友1913年 大正13年 大里村字諸(現小諸市)父重蔵母志げの五男に生まれる。小学校卒業後(15歳)神川村大屋(現上田市大屋。大屋駅に当時の説明看板有)の美術研究所(山本鼎先生が作った研究所)に学ぶが、木っ端人形の色づけが合わなく、2か月でやめた。しばらく、小諸の町で酒屋配達などをしていた。多分、中村實さんと思われますが、東京代官山の吉田白領先生を紹介され、先生から何か作品一点を送るように言われ「刻」を作成して送り先生に認めれれ入門を許可される。その後「ペンキ屋」「農夫」「耕す人」「老人」「若者」と発表入選昭和十四年(1939)二十六歳日本美術院同人会の反省に因り院友に推挙される同年「老樵」を今後「壮者」「首」「親子」「創作八幡船男」「監視兵」等を入選。特に「監視兵」は兄弟子中村道人と協同創作で成る「九年神像」と共に同盟省に献納 軍の戦意鼓舞に貢献したものである。戦後に太平洋の海に捨てられ今は無い。大東亜戦争は熾烈を極め昭和十八年(1943) 陸軍に召集された山砲兵として中華民國と転戦。昭和19年(1944)衝陽野戦病院にて戦病死す享年三十歳遺骨竟に還らず。貞五死後生家に遺作ができる遺品の処置に就き同細胞等相謀り之を公開して江湖の観賞に供し技芸振興の一助たらしめ短かりし生涯の業蹟を永く長くに伝えて鎮魂の場と決めこの地に保管碑を建てた。館長の小林様は貞吾様のご親族で小林貞吾の事、地元の事、ご自分の仕事の事などとても丁寧にお話していただけます。駐車場の道がとても狭いので、車で行く時は飯綱山公園ドッグラン駐車場に駐車する事をお勧めします。