川苔山登山の聖地、熊野神社。
棚澤熊野神社の特徴
川苔山や本仁田山の帰りに立ち寄れる穴場スポットです。
入口には紀元2600年の石碑があり歴史的価値があります。
熊野信仰が息づく静かな神社で散歩にも最適です。
登山大好きTOMOです😌✨神社左裏手に登山口があります🥾川苔山や本仁田山に行く際に通らせて頂きました✨有難い限りです😌静かな神社です⛩️繁栄がありますように🙏
川苔山に登山の際に通りました。本堂の左側に登山口があります。安全祈願してから登るといいと思います!自販機、トイレは無いので駅で済ませると良いと思います。
神社のわき道から登山道になる。
2020.12訪問 静かで良い場所ちょっと銀杏くさいです。
川苔山の帰りに降りた先にあった神社。鳩の巣駅まですぐです。
本仁田山登山の帰りに立ち寄りました。下山途中に寄るのであればゴールの駅まではすぐです。
散歩👍👍👍👍👍👍👍(2018.12.14):てんガチ(2018.6.13)を観て行きました。
こちらにも熊野神社があったんですね。
白丸駅からのぼってったとこにある小さな神社です。熊野神社にあやかってなか大きな杉に囲まれています。いっぽんだけ太い銀杏があって銀杏がいっぱい落ちていました。石段の下に小さな石碑。戦没者の碑だそう。ド田舎で山ん中で苗字少なくてみんな親戚みたいな間柄だったろうに、戦没地がレイテだのマリヤナだの旅順だのソロモンだのソ連だのでまぁえらく彼方に。何人「還」ってこれたんだか。みんなでこの大銀杏の下で集まってお祭りでもできたらええのにねぇ。
| 名前 |
棚澤熊野神社 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
|
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祀られている3柱をみると、そこには いざなぎといざなみの黄泉の国の場面が想像される。延寶6年(1678年)霜月(11月)20日の屋根の葺き替えの棟札が残っていることより、創立年月不詳というけれども、江戸の初期にはすでに鎮座していたことはわかる。❶【熊野神社 参考 皇国地誌・西多摩郡村誌 1984年】熊野神社(明治初年の棚澤村誌による)[祭神] 3柱を祀る伊弉冉命(いざなみのみこと・国産みの女神)泉津事解之命(よもつことさかのおのかみ・決別と再生、決断と再出発を象徴する神)速玉之男命(はやたまのおのみこと・厄除けや縁結びの神)・鎮座年月は不詳である。・もと(明治維新に名称が変更)熊野大権現と称した。(熊野大権現(江戸の頃まで)→熊野大神(明治維新)→熊野神社(現在)という号の遍歴となる)・社地は森 然(しか)たる杉林にて、囲い8尺(2.4M)余りの杉の古木 1株と、囲い7尺5寸(2.2M)余りの銀杏(ぎんなん)樹 1株あり、とある。[社殿] 1間、3尺5寸2尺8寸と。板葺。南向きなり[拝殿] 3間に2間。杉皮葺。[神璽石(しんじせき)] 長さ 1尺4寸7と。回り 1尺8寸[鳥居] 1基。開き 6尺8寸、南向き、中の石階の下にあり。[石階] 社前7級。鳥居の内 21級。鳥居の前 8級なり。[眞鍮幣(しんちゅうひ)] 3本。1は長さ 2尺。ほかの2本は共に 1尺6寸なり。[板札] 3枚。・延寶6年(1678年)霜月(11月)20日の棟札。・正徳3年(1713年)の棟札。・嘉永6年(1853年)12月の棟札[鎮座地] 元標より亥子の方 距つこと2丁25間 517番 官有地にあり[社格] 村社[境内] 縦(南北)15間 横14間 面積 210坪[例祭日] 正月7日、6月15日 1月7日には流鏑馬の神事あり。