天戸大橋の入り口で、待っています!
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| 名前 |
如意輪観音 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
|
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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天戸大橋の「入り口」にこれはあります。仕事の往復でこの橋をよく通りますが、先の広尾十字路が良く渋滞するのです。そして車はしばしばこの小さなお社の横で停まります。屋根が低いので、道路からはお社の中身が見えません。気になります。そこである日、20分ほど早めに家を出て写真を撮ってきました。中身はこの如意輪観音でした。石柱の右には大正六年八月とあります。左には天戸区(この地域名です)の文字と世話人6名の名が刻まれています。名が平仮名であることから女性と思われます。房総地域では西暦1700年前後以降、如意輪観音を信仰対象とした「月待講」が広がりました。月待講とは、毎月特定の月齢の晩に集落の住民が集まって飲食をしたり、お経を唱えたりして「月の出を待つ」集会のことです。その多くは女性主体であり女人講とも呼ばれました。女性の家事負担を軽減する目的があったと考えられています。これはかつてここで月待講が開かれていたことを今に伝える石柱だったのです。房総地区での月待は十九夜に行われたモノが圧倒的に多く十九夜講と呼ばれました。月齢十九の月は寝待月とも呼ばれ、春は21時30分頃・秋は20時10分ころに顔を出します。夜も朝も早かった当時としては、このくらいが夜更かしの限界だったからなのでしょうか。このような如意輪観音像を彫った石柱を十九夜塔と呼びますが、現在北総地域に1,500ほどが確認されています。建立年代は幕末までの物がほとんどで、明治期以降は急激にその数を減らします。まして大正期以降のモノは数えるほどしかありません。そういった意味ではこの十九夜塔はとんでもない貴重品なわけです。ところで橋には「入り口」と「出口」があります。橋げたに書かれている橋の名が漢字の方が入り口で、平仮名の方が出口なんだそうです。ではまた……2025.4.26