日野市の歴史、古墳探訪。
坂西横穴墓群の特徴
昭和49年に発見された第一横穴墓群の歴史的な遺構です。
日野駅から徒歩圏内に位置し、アクセスも良好です。
整備された看板が目印で、発見の歴史を感じられます。
看板が無ければサッパリわかりません。
説明看板だけです。
古墳自体は見えない。
昭和49年11月23日、日野市神明上土地区画整理事業の一部である都市区画街路六の109号線の建設工事中に第一横穴墓の羨門部の封石が発見され、その後、相次いで6基が検出されて、12月から翌50年2月にかけて、緊急調査が行われた。そのうち第1号、第3号、第4号の3基が保存され指定されている。特に、第1号は、白色粘土塗布という特徴的な横穴墓であり、また第1号、第4号の線刻文字、戯画等は興味深いものである。築造年代は、7世紀の後半代と考えられ、当市内の梵天山横穴墓群などとの比較研究のうえ、学術的重要な役割を果たすものと考えられる。東京都教育委員会(現地案内板より)現在埋め戻されて見学することはできない。実践女子大学生の通学路になっているが、気が付く生徒は少ないでしょうね。
看板はあるが、素人目には、よくわからない。
穴はありません。案内看板によると、墓はほとんどがJRの敷地で潰されています。
| 名前 |
坂西横穴墓群 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 営業時間 |
[木金土日月火水] 24時間営業 |
| 評価 |
3.0 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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日野駅のバスロ-タリ-から線路沿いに実践女子大学に向かう坂を上ると、途中にある。大きく二段になっている多摩川の河岸段丘の上段の斜面で開発の準備調査で発見された。一部のみ保存され、斜面は埋め戻されているので遺跡感はゼロである。しかし日野台と今呼ばれているこの地(多摩川が浸食した武蔵野の台地の南端)が、かつてどのような生活の場所であったかをかすかに伝える場所と言える。