旧東海道の名残、脇本陣の門。
見付宿脇本陣大三河屋門の特徴
東海道五十三次の宿場巡りで訪れた歴史的な場所です。
江戸時代にサブの大名用宿泊施設だった貴重な跡地です。
見付宿脇本陣大三河屋門は元の場所に移築復元された門です。
東海道の歩き旅の途中に、立ち寄りました。ぽつんと、古びた門だけがあるので不思議な感じがします。
旧東海道 見付宿 脇本陣大三河屋。見付宿(磐田市)に入りました。日本橋から歩いてきて17日目です。見付は 東海道五十三次で江戸から28番目の宿場町です。「見付」なのか「見附」なのかは公式の文書では五分五分のようです。旧見付学校のパンフレットは「見付」、歌川広重の浮世絵は「見附」、そして ここ脇本陣大三河屋の説明板は「見付」です。見付宿は、東海道から秋葉街道と姫街道(浜名湖の北ルート)が分岐しており、東海道の要衝でした。また、天竜川の左岸であるため川止めの時は さらに賑わった。旅籠は56軒あり、浜松宿の94軒や岡崎宿の112軒には及ばないが 、島田宿の48軒や府中宿(静岡)の43軒より多く、東海道屈指の宿場町と言われた。ここ旧東海道の見付宿付近も、JRの駅から離れた商店街がある。10年以上前の 諸先輩方のブログや口コミを見ると、町並みが整備されて きれいな印象 という評価が目につきました。実際に来てみて、その通りだと思いました。うまくやったと思います。地方都市は 駅前がシャッター通りになってしまい なかなか難しい事が多く、さらに駅から離れた旧市街地は もっと大変ですが、ここ磐田市の見付エリアは 歩道が広くて何か小綺麗な感じです。以前 加西市の北条町もこのような感じだった。見付と似たような静岡県中部の 藤枝の旧市街地は(活性化対策で) アーケードを撤去する工事が始まるらしいですが、ここ見付もアーケードの無い 明るい感じの町です。ただ、コンビニが出店していない事が気になりました。ドラッグはありました。
江戸時代、宿場には街道を往来する大名や公家が宿泊する施設として、本陣が決められていました。脇本陣は、本陣を補うための宿泊施設で、本陣に次ぐ規模、格式を持っていました。大三河屋は、はじめ旅籠屋でしたが、文化2年(1805)に脇本陣となりました。この門は2本の本柱上に冠木を渡し、その上に楽と切妻屋根を載せています。武家や商屋の屋敷の門には棟門が使われますが、脇本陣の玄関を飾るためか、小さいながら薬医門の形をした門です。※2本の本柱の背後に控え柱を立て、切妻屋根をかけた門さんがわら屋根は桟瓦葺きの切造りで、大棟の両先端には小型の能を配置し、大棟両端から様が付けられ、薬医門降棟その先端部には獅子を表した飾り瓦である留蓋が置かれています。降棟によって、重厚で落ち着きのある印象を与え、由緒ある脇本陣の格式と伝統をかもし出しています。冠木本柱-控柱かつて見付から中泉の中津川家に移築され同家の問として使用されていましたが、平成17年、市に寄贈され、平成19年に移築復元しました。たて看板より。
東海道五十三次宿場巡りで訪れました。本陣跡は広場になっており、立派な門構えが建ってました。
見付宿脇本陣大三河屋門(みつけしゅくわきほんじんおおみかわやもん)大三河屋新左衛門家は見付宿の旅籠を営んでいましたが、文化2年(1805年)から脇本陣に指定されました。脇本陣は本陣を補う宿泊施設で本陣が大名などで使用されていた場合は脇本陣がその役割を務めました。
見付宿脇本陣大三河屋門見付宿脇本陣大三河屋門、一度は家ごと移築されていたようですが、寄贈され再移築&復元され戻って来たようです。
他所の門として移築されていた物が、市に寄贈され、改めて元の場所に移築されたという、貴重な門。
脇脇本陣の門だけが残っているは淋しいですね。
2019.4/21に訪れました。ボランティアらしき方が説明してくれましたが、この門の屋根の隆棟の先端の鬼瓦がうさぎです。裏側は何もなく普通の鬼瓦があるだけなので表側と全然迫力、見た目が違います。説明にはありませんでしたが側面の懸魚(げげょ)という木製の所が大きく繊細で見事な彫り物です。こんな豪華で大きな懸魚(げげょ)ははじめて見ました。
| 名前 |
見付宿脇本陣大三河屋門 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 電話番号 |
050-3836-2928 |
| 営業時間 |
[木金土日月火水] 24時間営業 |
| HP |
https://www.city.iwata.shizuoka.jp/sports_midokoro/bunkazai/bunkazainitsuite/1002039.html |
| 評価 |
3.6 |
| 住所 |
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