仏の力が今も息づく国分尼寺跡。
武蔵国分尼寺講堂跡の特徴
武蔵国分尼寺講堂跡は奈良時代の遺構で歴史を感じる場所です。
聖武天皇が建立した国分寺の重要な遺跡の一つです。
JR武蔵野線を挟んだ西側に位置し、アクセスが良好です。
「武蔵国分尼寺講堂跡」は、武蔵国分尼寺跡全面大発掘調査の折、礎石は一個も発見できませんでした。礎石が不等沈下するのを防ぐため、各礎石の下に詰め込む、根締め石すらありませんでした。しかし、全国の国分尼寺の発掘調査が進み、武蔵国分尼寺の伽藍配置が、中門、金堂、講堂、尼坊が南北一直線の中心軸線上に建設されていることが判りました。発掘調査では「講堂」の痕跡は全く発見できませんでしたが、金堂と尼坊の間に講堂があったとして「武蔵国分尼寺講堂跡」と、地図上に表示しているものです。
| 名前 |
武蔵国分尼寺講堂跡 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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「武蔵国分尼寺跡」は、東京都国分寺市にある「武蔵国分寺跡」からJR武蔵野線を挟んだ西側にあり、聖武天皇が奈良時代の中頃の741年(天平13年)に政治の混乱や社会不安の続く国内を仏の力で国を安定させるための「国分寺建立の詔」により諸国に建立された国分寺の中の一つの武蔵国の国分寺に国分尼寺の遺跡になります。武蔵国では、都と国府(現府中市内)を結ぶ古代官道「東山道武蔵路」沿いの東に僧寺である武蔵国分寺、西に尼寺である武蔵国分尼寺が配置され、武蔵国分寺の伽藍は1333年(元弘3年)の分倍河原の合戦の際に焼失したと伝えられていますが、江戸時代には武蔵国分寺跡は江戸近郊の名所として知識人の注目を集め、地誌にも紹介されるようになりました。全国の国分寺跡の中でも最大級の規模を誇り、1922年(大正11年)に武蔵国分尼寺跡も含めて国の史跡に指定されて、現在は市立歴史公園として整備されています。講堂は経典の講義などを行う建物で、往時の規模に復元された金堂基壇と尼坊との間は広く空白地となっていますが、中軸線上には講堂が、その東西には鐘楼と経蔵が配置されていたと想定されます。