松尾芭蕉の足跡、春の佃煮。
松尾芭蕉句碑日本橋室町の特徴
松尾芭蕉が最初に住んだ地に位置する句碑です。
宿の春と刻まれた発句は感慨深いものである。
老舗の佃煮屋の店先に佇む歴史あるスポットです。
芭蕉が江戸に出て最初に住んだ場所1672年29歳から1680年37歳迄句は俳人として最初の句で此処に立つと非常に感慨深いものである。
松尾芭蕉の江戸住まいの最初の地が、小田原町(現日本橋室町)と言われ、 「 発句也 松尾桃青 宿の春 」 の句碑が、中央区日本橋室町一丁目、老舗の佃煮屋の店先に建っています。
| 名前 |
松尾芭蕉句碑日本橋室町 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 営業時間 |
[土日月火水木金] 24時間営業 |
| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
|
|
ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
|
周辺のオススメ
恥ずかしながら、なんと書いてあるのかは分かりません。以下説明文より発句也松尾桃青宿の春松尾芭蕉は、寛文十二年(一六七二)二十九歳の時、故郷伊賀上野から江戸に出た。以後延宝八年(一六八〇)三十七歳までの八年間、ここ小田原町(現室町一丁目)の小沢太郎兵衛(大海町名主、芭蕉門人、俳号ト尺)の借家に住んだことが、尾張鳴海の庄屋下里知足の書いた俳人住所録によって知られる。当時「桃青」と称していた芭蕉は、日本橋魚市場にまかな繁華の地に住みつつ俳壇における地歩を固め、延宝六年には俳諧宗匠として独立した。その翌年(延宝七年)正月、宗匠としての迎春の心意気を高らかに詠み上げたのがこの博の句である。面の文字は、下里知足の自筆から模刻した。橋本日日本橋を北に渡った東側に魚市場があった。河岸には魚を満載した舟が漕ぎ寄せられ、早朝から威勢のいい掛け声で賑わった。この絵の右側すなわち北側二筋目の通りが、芭蕉の住んでいた小田原町で、そこにも魚屋が並んでいた。芭蕉は魚市場の喧騒を耳にしながら暮らしていたのである。東海道名所図絵秋里籠島著。