銀座発祥の地、煉瓦銀座之碑。
煉瓦銀座之碑の特徴
旧東海道踏破チャレンジの途中に立ち寄りたいモニュメントです。
明治期の銀座大火の記録を感じられる貴重なスポットです。
銀座煉瓦街の記念碑で、歴史的意義深い場所です。
東京は銀座といえば江戸時代に銀貨の鋳造を担っていた場所に由来する地名だが、その後は商業地区として栄え、地方都市でもその都市きっての商業地区にはこの東京の銀座に因んで「◯◯銀座」と名付けられた区画をよくみかける。このような商業地区の代名詞ともなった銀座が商業で栄えるようになった背景としては、明治期に火災で当時の木造家屋が多数焼失した後に、火災に強い煉瓦造りの洋風建築を建てて街を再建したのがはじまりらしい。その記念碑が京橋にあり、碑文でそのいきさつを知ることができる。銀座の歴史そのものが書かれているわけではないが、銀座の繁栄に至るまでの道の一部が示されていて面白い。
「経綸」煉瓦銀座之碑明治5年2月26日午後5時頃、和田倉門の近くにあった旧会津藩邸から火が起こり、折からの強風に煽られ次々に延焼して行きました。周辺に立ち並ぶ旧大名邸を焼き尽くしたそうです。その結果、現在の銀座、築地一帯を焼失させました。歴史的な大惨事です。これを読むとそれをきっかけに銀座を耐火建築のレンガ街にしようと決意したようです。
明治期に誕生した銀座煉瓦街の記念碑。
ここが銀座発祥の地ということでしょうか昭和三十一年製の案内板より煉瓦銀座之碑明治五年二月二十六日銀座は全焼し、延焼築地方面に及び消失戸数四千と称せらる。東京府知事由利公正は罹災せる銀座全地域の不燃性建築を企画建策し政府は国費をもって煉瓦造二階建アーケード式建築を完成す煉瓦通りと称せられ銀座通り商店街形成の濫觴となりたり 昭和三十一年四月二日。
旧東海道踏破チャレンジ。京橋を通過。
あのー、モニュメントなわけですが「髑髏」みたいな難しい漢字があって微妙に読めなかった。
| 名前 |
煉瓦銀座之碑 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[土日月火水木金] 24時間営業 |
| HP |
http://www.portaltokyo.com/guide_23/contents/c02091renga.htm |
| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
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1872年に発生した銀座大火は銀座だけに留まらず、丸の内や築地まで焼き尽くす大火災であった。その割に犠牲者が少数だったのは奇跡的とも言える。これを期に政府は銀座を不燃性の都市にする計画を進めることになった。お雇い外国人であるトーマス・ウォートルスの設計で完成。銀座煉瓦街が誕生である。経綸は「社会秩序を整え、治めるための計画や方策」。という意味である。揮毫は当時の知事、由利公正。床に敷き詰められているのは発掘された当時の煉瓦である。景観も優れた史跡だ。