歴史感じる小針一号古墳。
小針1号古墳の特徴
小針一号古墳は歴史的な場所で、壬申の乱の痕跡を感じられます。
古墳が位置する三菱公園内には、テニスコートや寮も完備されています。
往時には大小十四墓の古墳があり、壮観な景色が楽しめます。
歴史壬申の乱がわかって感動しました!前方後円墳の一部後円墳がみれます。上まで登れます。
三菱自動車のテニスコートが有ります寮も有ります。
三菱テニスコート横の古墳。
●小針一号古墳所在地:愛知県岡崎市小針町神田43三菱公園内小針一号古墳看板より引用【小針古墳と大友皇子(第三十九代弘文天皇)の塚 】このあたり一帯は往時大小十四墓の古墳があって壮観を呈していたが、明治以降開墾のため破壊され、この柵内の小高い円丘、俗称大塚のみが原形を保っている。もとは前方後円墳で周囲には円筒埴輪が巡らされていたが 今は後円部のみが残存している。この古墳は往古から大友皇子の塚だという伝説がある。すなわち今を去る壱千参百年の昔 天智天皇の崩御後、皇太子大友皇子が近江の大津宮で政治をとったが、天皇の弟大海人皇子(第四十代天武天皇)が吉野で挙兵し、近江を攻め、大津宮は兵火にあって焼け落ち、大友皇子は敗れて自害した(西紀六七二年、御年二十五才)。これを壬申の乱とよぶ(日本書紀)。しかるに西大友町に鎮座する「大友天神社の社志」によると「大友皇子は自害したと言いふらして、ひそかに一族の者数名と三河にのがれ、大海人皇子の謀反を怨み悲憤の涙に暮れたが、ついにこの地で崩じ、小針字神田に葬られた。従者長谷部信次が神社を創建し皇子の霊を祭祀した。これが大友天神社である。大友という村名もこれに起因する」という由緒がある。この塚は現在小針町字城跡一二三番地 市川金平氏の所有で、同家で先祖代々鄭重に守護し承っている。なお大友皇子は明治三年に弘文天皇と贈り名され、御陵は大津市に建てられている。昭和四十六年十二月 名古屋菱重興産株式会社建之。
| 名前 |
小針1号古墳 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
| 評価 |
3.3 |
| 住所 |
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こばり1号墳と読む。三菱小針研修センターとテニスコートの間にある。駐車場側から入る。整備されているが前方部は削平され、後円部のみ残る。