光西上人の墓で心静かに。
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| 名前 |
木食光西上人入寂の地 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
3.0 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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「享保の飢饉」の苦境からの救済を祈り命を絶った光西上人の墓。生前の上人の言葉通り、死後200年後の1935年(昭和10年)に発掘され、再度埋葬された。以下は案内板の記述木食光西上人入寂の地 宝蓮寺江戸時代中期享保年間(一七一六〜一七三五年)の頃、西日本一帯で起こった飢饉により、日本全体が危機に瀕した際に、江戸麻布出身で宝蓮寺地蔵堂の庵主であった木食光西上人は、時の宝蓮寺住職大蟲和尚の協力を得て、仏教の力により農民を苦しみから救済しようとしました。光西上人は、武蔵・相模・甲斐・駿河・伊豆その他全国各地を行脚し、大般若経六百巻の願主となり、浄財を集め、今まで荒れていた大日堂及び仏像を修理し、新たな御堂の造営を行いました。その後光西上人は、享保二十年(一七三五年)に事業の仕上げとして、地下に作った深さ約一・五メートルの石室の中に入り、座って経を唱えながら入寂しました。光西上人の「二百年後に掘ってみよ」との遺言により、昭和十年(一九三五年)に村人の手により発掘が行われ、石室の中から頭蓋骨、脛骨、鉦の脚三点、袈裟の輪一点、古銭六枚及び青銅の観音像一躯が発見されました。遺骨は埋め戻され、現在もここに眠っています。❇︎ 木食上人とは、穀物を食べず草根・木皮・果実等を食物にして修行する僧のことを言います。❇︎ 入寂とは、僧が亡くなることを言います。平成二十四年九月秦野市教育委員会。