神田明神の文化財、鉄製天水桶。
鉄製天水桶の特徴
神田明神境内に位置し、鉄製天水桶が魅力的です。
江戸時代の町人経済と結びついた貴重な文化財です。
2004年に指定された歴史ある神社の一部です。
神田明神境内の鉄製天水桶は、社殿や随神門に目を奪われたあとで見ると、神田明神が「江戸総鎮守」であるだけではなく、町人経済の実務と深く結びついた神社でもあったことを、石と鉄で静かに教えてくれる文化財です。場所は外神田二丁目、湯島側から坂を下ってくると文京区と千代田区の境目が地形ごとほどけるあたりで、区境散歩の途中に挟むのにちょうどいい。千代田区指定有形民俗文化財で、拝殿前に一対が据えられています。天水桶というのは、雨水をためて防火用水などに用いた桶のこと。火事の多い江戸では、信仰と防火が別々ではなく、こうして同じ境内の景色の中に並んでいたわけです。この一対が面白いのは、銘文から奉納者の顔ぶれがかなり具体的に見える点です。弘化4年(1847)に、「摂州灘大石」と「筋違外」の酒屋を発起人に、神田や新川あたりの酒屋が世話人となって奉納したことが分かる。「摂州灘大石」は現在の兵庫県灘の酒どころ、「筋違外」は神田明神下から万世橋周辺にかけての旧地名で、江戸の物流と酒流通の地理がそのまま出てくる。さらに銘文には「下り・地廻酒屋中」とあり、上方から下ってくる酒と、関東周辺で醸された地廻り酒、その両方を扱う酒屋仲間の世界が背後に見えてきます。つまりこれは単なる防火設備ではなく、江戸の流通経済と株仲間の記録でもある。神田明神が町人の神社だったという話が、ここではかなり具体的です。鋳造の来歴まで読むと、さらに良い。仕事を請け負ったのは神田在住の堀口武兵衛、実際の鋳造は川口在住の永瀬源七と考えられる、と千代田区の説明にあります。川口は近世以来の鋳物の町として知られ、江戸の寺社や町道具を支えた金属加工の拠点でした。そう考えると、この鉄製天水桶は、神田明神の信仰、神田・新川の酒問屋、そして川口の鋳物技術が一つの形にまとまったものです。
| 名前 |
鉄製天水桶 |
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| ジャンル |
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| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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