出雲大社真名井で神官の風格を感じる。
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| 名前 |
旧社家 竹下家住宅 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| HP | |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
|
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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出雲大社真名井には、出雲大社に奉仕した神官の築地塀に囲まれた屋敷が集中している。北島国造館前の竹下家など典型的な社家屋敷の様式が残されている。出雲大社に訪れる観光客もこのあたりまで足を伸ばさないの清閑なたたずまいが残されている。竹下邸は母屋が一番古く他の建物は増築された建物だそうです。母家の二階部分に右桟瓦が使用されており、竹下家の初めての瓦葺きは宅野瓦の可能性が高いと思います。出雲大社・社家・竹下家のいぶし瓦には左桟の瓦と右桟の瓦が使用されています。●左桟の瓦(大津瓦)について左桟の瓦(大津瓦)の軒平瓦を確認すると何種類かの軒平瓦が確認できます。北島国造館の塀瓦、千家国造家塀瓦でも同じ紋様の軒平瓦が確認することができます。左桟瓦が残る地域は、出雲・高知・倉敷・松阪・枚方など、いずれも城下町や街道沿いの町が多いことが特徴です。これらの地域では、近世の町並みが比較的よく残り、建築文化が大きく変わらなかったため、瓦の伝統も維持されやすかったと考えられます。●右桟の瓦(宅野瓦)について右桟の軒平瓦を確認すると石見宅野の軒平瓦が確認できます。石見銀山と周辺に残る瓦は石見国宅野村、仁万村で造られたいぶし瓦、大森町周辺で造ら れた赤瓦、小鉄瓦(黒瓦)が残っています。 宅野村は、『宅野町村市史誌』に寛延 2 年(1749)迩摩郡・宅野「村差出明細帳」に瓦役 二か所、丁銀三十二匁の記載が有ります。宅野村の瓦生産が確認できるのは宝暦4年(1754)以降で、運上銀による史料によると 明和9年 (1772) から文化3年 (1806) まで2つの瓦屋が操業し文化7年(1810) には一軒増 え、幕末まで3軒の瓦屋が操業しています。出雲大社に残る宅野瓦には杵築町の神光寺に寛延元年(1748)庫裏に使用されたと思われる宅野村の軒平瓦と鬼瓦が残っています。廻船で運ばれた瓦です。また、手銭美術館(手銭家)でも右桟の瓦が確認でき出雲大社の有力な家屋には宅野瓦が使われたように思われます。宅野瓦は石見銀山の代官所、羅漢寺、勝源寺、郷宿など多くの建物に使用され軒平瓦、鬼瓦などが残っています。どのような経緯で社家・竹下家に使用されたのか貴重な遺物になると思います。