1860年代の史跡を訪ねて。
林の馬頭尊の特徴
安政六年の多摩川大洪水に関する歴史が感じられる場所です。
1860年代に建立された歴史ある史跡で貴重な文化財です。
JR青梅線・中神駅から徒歩450メートルの位置にあり、アクセス良好です。
1860年代の史跡。玉のような美しい川、多摩川の洪水から移住した村で、馬と村内安全を祈願して造立されました。
JR青梅線・中神駅の南口から都道152号線(通称、中神停車場通りを南に450メートルほどの三叉路にあります。以下、駒札の説明書き…『林の馬頭尊』林とはこのあたり一帯の通称地名。慶応四年(一八六八)中神村の馬持連中によって馬の供養と村内の安全を祈願して造立されたもの。…昭島市教育委員会。
| 名前 |
林の馬頭尊 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[金土日月火水木] 24時間営業 |
| 評価 |
3.7 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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安政は天変地異の時代であったが、安政六年(1859年)の多摩川大洪水も多摩川流域に甚大な被害をもたらした。代表例は、玉川上水の取水装置である羽村堰の決壊であり、この結果、流域の家屋の多くが流失し、田畑も土砂に埋もれ、使い物にならなくなったという。そして、特に被害の激しかった福島村と中神村の一部住民が高台への移住(所謂、「替地」。)を余儀なくされたと伝わる。解説板にある中神村の移住の言い伝えは、この出来事を指していると考えられる。なお、『昭島の歴史散歩 2020年版』には、この急坂が「林の坂」と呼ばれていたと記され、現在の朝日町(旧名:林。)が多摩川から見て高台に位置することがここからも分かる。大洪水による移住から九年後の慶応四年(1868年)正月、村の馬持中によって馬頭尊が建立された。『路傍の文化財』には、江戸後期寛政十一年時点で、中神村の九十九軒の民家に対し、二十疋の馬が飼われ、「駄賃稼」に利用されていた旨が記載される。駄賃稼とは、近隣農村から近隣農村又は都市部へ薪や炭を運搬する副業のことを指し、現東大和、昭島、立川等の馬持ち住民の貴重な現金収入となっていたらしい。そう考えると、造立趣旨は、馬頭観世音に馬の守護や安全を願ったものと推知される。また、台座には、盃状穴が見られる。諸説あるが、この穴は、通行人が何らかの願いを込めながら、小石を打ち付ける風習によってできたものとされるが、その穴の多さは、多くの人々がこれを打ち付けたことを想起させ、また、人通りの多さを推察させる。実際に、林の馬頭尊が建立された場所は、かつて多摩川の渡し場「築地の渡し(福島の渡し)」が近くにあり、往来が盛んだったことを物語る様に思える。なお、『路傍の文化財』に記された神山又男氏の調査によれば、林の馬頭尊は昭島市内で八番目に古い馬頭尊像とのことであった。