久保山墓地・悪疫横死諸群霊墓。
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| 名前 |
悪疫横死諸群霊墓 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
5.0 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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2026/4/13久保山墓地の区画K18にひっそりと佇む「悪疫横死諸群霊墓(あくえきおうししょぐんれいぼ)」。明治時代に大流行したコレラで亡くなった身元不明の犠牲者を供養するために1893年(明治26年)の春彼岸に建立された墓碑です。1886年(明治19年)日本全国で10万人以上の死者を出す凄惨なコレラの大流行が発生しました。横浜でも多くの感染者と死者(約2,200人)が出ており、その中には引き取り手のない遺骨が多数ありました。墓碑の碑文によると、当時の有志たちが身元不明の犠牲者約300余名の「残骨(ざんこつ)」が放置されているのを忍びなく思い、これらを久保山墓地に埋葬したとされています。墓碑の表面の風化が進んでおり碑文が読みにくくなっています。以下のように刻まれていました。【碑の原文】明治十九年流行病之際無葬者残骨参百余哀不忍見有志者謀久保山埋葬明治廿六年春彼岸為有無縁於大光院営施餓鬼大法会建碑云々【読み下し文】明治十九年流行病(りゅうこうびょう)の際、葬(ほうむ)る者なき残骨(ざんこつ)参百(さんびゃく)余、哀(あわれ)みて見るに忍(しの)びず。有志(ゆうし)者(しゃ)謀(はか)りて久保山に埋葬(まいそう)す。明治廿六年(にじゅうろくねん)春彼岸(はるひがん)、有(う)無(む)縁(えん)の為(ため)、大光院(だいこういん)に於(お)いて施餓鬼(せがき)大法会(だいほうえ)を営(いとな)み、碑(いしぶみ)を建(た)て云々(しかじか)。【現代語訳】明治19年にコレラが流行した際、埋葬してくれる身内のいない犠牲者の遺骨が300体以上ありました。その惨状を哀れに思い、見るに忍びなく感じた有志たちが相談して久保山墓地に埋葬しました。明治26年の春のお彼岸に、身寄りがある者もない者も等しく供養するため、大光院で大規模な法要を執り行い、この碑を建てたものです。また、碑の左側には「横溝豊刻字」(よこみぞ ゆたか こくじ)という文字が刻まれています。石工・横溝豊は、井伊直弼の銅像がある掃部山公園内の碑など、横浜の開港に関わる公的な場所にある碑の刻字も手掛けた一流の石工でした。なお、建立に携わった有志の中に、当時の横浜において、コレラなどの感染症対策や社会福祉に多大な貢献をした「慈善家・篤志家」として知られる「野口大五郎」が含まれています。野口家の墓碑も久保山墓地内(区画K20)にあり、ひときわ巨大な石碑が建っていますので、併せて訪れてみるのもお勧めです。