佐倉藩士の魂、義烈と忠勇の碑。
義烈之碑・忠勇之碑・両士記念之碑の特徴
義烈之碑は佐倉藩士の慰霊顕彰を目的とした歴史的な碑です。
忠勇之碑では旧佐倉藩士の勇気を称え、日露戦争の記憶を守っています。
両士記念之碑は戊辰の役に参戦した藩士二名を讃える貴重な記念碑です。
(o´・ω・)ん?
佐倉のお殿様(堀田)からの義烈之碑・忠勇之碑の石碑ですねぇ。この神社にあるのは、さすが佐倉藩総鎮守の「まかたさま」ですね!
義烈之碑佐倉藩士民の戊辰の役より日清戦争出征者、慰霊顕彰の魂掘田正恒公撰并篆額忠勇之碑旧佐倉藩士民日露戰争出人慰霊顕彰の堀田正倫公撰并篆額両士記念之碑戊辰の役に際し幕府方に参戦した佐倉藩士二名の記念碑。
| 名前 |
義烈之碑・忠勇之碑・両士記念之碑 |
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| ジャンル |
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| 営業時間 |
[水木金土日月火] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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両士記念の碑が有りました。この碑に対する詳しい説明はありませんでした。戊辰戦争にて佐倉藩は官軍に恭順となりましたが、幕府への忠義を重んじた藩士2名が脱藩し幕府軍として戦って亡くなりました。この両名は長らく汚名を着せられ、残された家族は罪人の様に城下から引越して密やかに暮らしていたそうです。その内の一家は断絶し現在は子孫もなく墓の後継者もいないそうです。詳しい赦免の年は分かりませんが、赦されて記念の碑が建立されたそうです。しかし碑には名前や事由も伏せられたままであり忠魂でも慰霊でも無く記念と言う名称の碑です。亡くなった藩士へ記念と言う名称は如何なものでしょうか、赦されている碑銘では無い様に思えます。この碑が建立された時代は藩主堀田家に跡継ぎが無く男系断絶し、官軍側の佐賀鍋島家から養子を迎えています。官軍鍋島家出身の藩主家に遠慮した碑銘にしたのかもしれませんね。同じ脱藩者でも官軍長州に協力した西村勝三は市民体育館前に銅像が建立されています。記念の碑とは、堀田藩主家に代わり大恩が有る徳川家に忠義を貫いて亡くなった両名や遺族が満足している様な名称では無いと思いました。合掌。