根津神社で学ぶ、塞大神碑の真実。
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| 名前 |
塞の大神碑 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
|
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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⛩️🪨 根津神社境内の「寒大神碑」として見かける石碑は、文京区教育委員会の案内や周辺解説では、実際には「塞大神碑」とされているものを指している可能性が高いです。ここでいう「塞大神」は「さえのおおかみ」と読み、道の境や辻を守り、悪疫や邪霊の侵入を防ぐ神、つまり道祖神の系統にあたる神です。根津神社の華やかな社殿や乙女稲荷の千本鳥居に比べると目立ちにくい石碑ですが、江戸の町の境界意識や道の信仰を今に伝える、かなり味わい深い存在だと思いました。この碑でもうひとつ大事なのは、もともと根津神社にあったものではないことです。案内によれば、旧中山道と旧日光将軍御成道が分かれる「駒込追分」にあり、現在の東京大学農学部前あたり、日本橋から一里の地点に近い場所に立っていました。駒込追分、一里塚、旧中山道、旧日光将軍御成道という固有名が並ぶだけで、この石碑がただの境内石造物ではなく、江戸の街道交通の節目に立っていた道の神であることがよくわかります。道路拡幅にともなって明治末に根津神社へ移され、現在に至るとされています。由来をさらにたどると、この場所にはもともと一里塚があり、榎が植えられていたとされます。明和3年の火災で榎が焼け、その跡に庚申塔が置かれ、さらに文政7年の火災でそれも欠損し、その跡地に明治6年、塞大神碑が建てられたという流れが伝わっています。つまりこの一基の碑の背後には、一里塚、榎、庚申塔、塞大神碑という重なった履歴があり、街道筋の祈りの場が姿を変えながら受け継がれてきたわけです。根津神社境内で見ると静かな石碑ですが、もとは駒込追分という交通の要衝に立っていたと知ると、見え方がかなり変わります。現地では、近くに六基の庚申塔もあり、道の神と庚申信仰が並んで見られるのも印象的です。根津神社、駒込追分、東京大学農学部前、旧中山道、旧日光将軍御成道という名を頭に置いてこの碑を見ると、江戸の道と人びとの不安、その不安を祈りで鎮めようとした気配がよく伝わってきました。華やかな名所の陰にありますが、こういう石碑に目を留めると、根津神社の境内が近世都市の記憶を引き受ける場所でもあることが感じられます。