庄川杢左衛門を偲ぶ石碑。
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| 名前 |
庄川杢左衛門・頌徳碑 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
|
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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高崎藩から赴任してきた庄川杢左衛門を偲ぶ石碑で、墓石の様になっています。銚子は江戸時代には、利根川の河口に繁栄した天領と、南側には高神村などが上州高崎藩の飛地として治められていました。飯沼観音の南西側には馬場町、陣屋町と言った町名が残っていますが、そこには高崎藩の陣屋が置かれていた名残りがあります。江戸時代の大飢饉で飢え苦しみ、疲弊した人々を救うために、当時の代官であった庄川杢左衛門は米蔵を開き、人々の命を救ったそうです。しかし、それは藩の許しを得ずに、庄川杢左衛門の独断で行ったとされ、その事で杢左衛門は高崎に呼び戻され、後に自刃したと伝えられています。噂を聞いた地元の人々は大いに悲しみ、庄川杢左衛門の徳を慕って「じょうかんよう節」などの唄を歌い、思いを後世に残しました。(これらの事は高崎には記録が一切残っておらず、真相は不明なのですが、ここに生きてきた人々の心に深く刻まれています。33回忌までは地元の高神村の村民はお上を憚って、向かいにある庚申様・都波岐神社の祭に事寄せて供養を続けたそうです。)毎年、命日とされる8月27日のころに、過去には銚子市青少年文化会館の大ホールにて、「庄川杢左衛門を偲ぶ郷土芸能の夕べ」と題して、笛や鳴り物、唄による演舞が行われていました。小川町の郷土芸能保存会の主幹であった高橋作右衛門さんにより、その思いを強く伝えて来ましたが、文化会館が閉館状態になってからは、この頌徳碑に於いて、8月27日に近い日曜日に、線香を手向ける会が行われています。