江戸時代の田無水辺を体感!
田無用水の特徴
江戸時代に作られた田無用水で歴史を感じることができる。
玉川上水から引き込まれた用水路が流れる静かな場所です。
新小金井街道沿いにある説明板で詳しい歴史が学べます。
玉川上水から取り入れた用水。生活用水とささて使われていた。
玉川上水の分水の一つです。江戸時代初期の田無村周辺はその名前が示すとおり田も畑も造れない、水に乏しい地域でした。1696(元禄9)年に玉川上水からの分水の許可が下り、開削されたのが田無用水です。現在の喜平橋付近で水を分け、田無村まで約6㎞の水路を開きました。玉川上水の北岸では1870年に新堀用水が掘られます。現在は小平監視所から分岐しています。明治期に入り、玉川上水に通船が許されたことや水不足対策として、田無用水を含む玉川上水北側の8つの分水口を一つにまとめるために新たに掘られたものです。新堀用水は関東管区警察学校の南側付近で、鈴木用水と田無用水に分水されます。現在は小平監視所より下流の玉川上水と野火止用水は高度処理された再生水が流されています。が、新堀用水には羽村で取水した多摩川の水の一部が流されています。従って田無用水にも多摩川の水が流れています。田無用水はほとんど暗渠化されましたが、この辺りから鈴木町までは往時のままの素掘りにゆっくりとした流れが見られます。用水路として利用されていた頃は堀浚いという整備がなされていました。
安らぐ水辺。小魚なんかもいます。歴史を感じながら上流から下流まで辿って歩いてみるのも、また一興かと。
田無用水は、東京都小平市と西東京市を流れていた全長約5.6kmの用水路で、江戸時代前期に田無村の飲み水として玉川上水から分水してつくられました。現在は、小平市の分水口から上流約1kmのところまで多摩川の自然水が流れていますが、西東京市では流路は暗渠(あんきょ)となりわずかに痕跡を残すのみとなっています。
江戸時代に田無の生活用水として玉川上水から引き込んたそうです。水の流れは感じませんでしたが、水質はきれいで川底まで透きとおって見えました。現在はほとんど暗渠となっているため当時の様子を感じられる数少ない場所のようです。
| 名前 |
田無用水 |
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| ジャンル |
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| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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新小金井街道沿いに説明板あり。暗渠ではない田無用水を見ることができる。