旧古河庭園で出会う崩石積。
崩石積の特徴
日本庭園の絶妙な石組みに心惹かれるひとときです。
旧古河庭園で楽しむバラの美しい景観が魅力です。
京都発祥の崩石積工法を体感できる場所です。
日本庭園を歩いていると出会う、今にも崩れそうで崩れない絶妙なバランスの石組み。これが京都の伝統技法を用いた「崩石積」です。整然と積むのではなく、あえて不安定さを演出することで、山間の野趣や自然の力強さを表現しているのだとか。その渋い佇まいは、華やかな薔薇園とは対極にある造形美です。2026.5 撮影📸
「崩石積」とは京都で発達した石積の工法のひとつ。乱雑に置かれた大きな石の数々。一見、どれも崩れそうではあるが、実はそれぞれがうまく噛み合っていて崩れない。このなんとも言えないアンバランスな感じが美しく、ついつい時間をかけて見てしまう。-説明文-石を垂直に積む方法は数あるが、これは京都で発達した伝統的な工法である。石と石が噛み合って崩れそうで崩れない姿が美しいとされる。当庭園においても七代目小川治兵衛の力作となっている。2025.6 撮影。
| 名前 |
崩石積 |
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| ジャンル |
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| 評価 |
3.5 |
| 住所 |
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薔薇が見頃を迎えていたので、旧古河庭園(国指定名勝)を訪れた🚶♂️西洋庭園ではバラが見頃のピークを迎えており、多くの来園者で賑わっていた。この日は気温も高く、日差しも強かったので、少し木陰を歩こうと日本庭園へ向かった。旧古河庭園の最大の特徴の一つは、西洋庭園と日本庭園が併存していることである。国の名勝に指定された理由にも、伝統的な手法と近代的な技術の融和により、和洋の見事な調和を特徴としていることが挙げられている。このように、ひとつの庭園空間に洋風庭園と日本庭園を配する庭園様式を、庭園史では和洋併置式庭園と呼ぶようだ。何が凄いかということは、実際に歩くとよく分かる。旧古河庭園は、上野台突端部分の高低差という立地条件を最大限に活かし、台地上には本邸と西洋庭園をつくり、低地には日本庭園がつくられているのである。本邸のそばにある西洋庭園から低地へと続く階段があり、その階段を降りていくと日本庭園が広がっている。この西洋庭園と日本庭園をつなぐ階段こそが、高台と低地という立地条件を示している。先にも述べたように、旧古河庭園は上野台突端部分に位置していることから、日本庭園のなかにも高低差があり、急な登り道などが見受けられる。そして、高台と低地の高低差をよく表しているのが、日本庭園内にある大滝である。なんと旧古河庭園の日本庭園には、滝壺まで8mの落差がある滝が造られているのだ。台地と低地が併存する丘陵の地形を最大限に活かしている様子が分かる。この高低差を利用して滝から水が流れ落ちる様子は、旧古河庭園の日本庭園における最大の見どころの一つであろう。この日は汗ばむほどの気温だったが、滝に水が流れる様子とその音が、涼感を与えてくれた。さて、西洋庭園と日本庭園を併せ持つ旧古河庭園だが、その設計や造園を担ったのは別々の人物である。西洋庭園は、旧古河邸本邸と同じくジョサイア・コンドルが設計し、1917(大正6)年に完成した。一方で日本庭園を手がけたのは、京都で活躍していた造園家・7代小川治兵衞である。日本庭園は1919(大正8)年に完成し、小川治兵衞の東京における最初の作品である。つまり、旧古河庭園の完成にあたっては、明治政府によりイギリスから招聘された建築家・コンドルと、京都を中心に活躍していた造園家・小川治兵衞が関わっていた。作庭に関わった人物から見ても、旧古河庭園は和と洋の要素を併せ持つ庭園なのである。旧古河庭園というと、つい本邸洋館に近い西洋庭園に目がいってしまいがちである。しかし、実際には上野台突端部分の高低差という立地条件を最大限に活かしながら、西洋庭園と日本庭園が作庭されており、文字通り、和と洋が調和する稀有な事例なのである。