旧陸軍少年兵学校跡で歴史を感じる。
| 名前 |
東京陸軍少年兵学校(東村山市指定旧跡) |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
5.0 |
| 住所 |
〒189-0024 東京都東村山市富士見町1丁目4−24 NTハイツ富士見 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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野火止用水と東京街道に挟まれたこの一帯は、旧陸軍の少年兵学校でした。ここでは主に通信兵の育成を行っていたようです。以下、市の資料より。ーーーーーー◆東村山市指定史跡「東京陸軍少年兵学校」日本の軍隊に徴兵年齢以前の10代の「少年兵」が現れるのは昭和初年である。第一次世界大戦に登場した飛行機・戦車等を操る技術下士官の養成が急務となり、少年兵の制度が取り入れられるようになった。陸軍における最初の少年兵は陸軍少年通信兵で、昭和8年(1933)、東京市杉並区馬橋(現在の杉並区)の陸軍通信学校内に少年たちの通信技術教育のための生徒隊を設けて少年通信兵制度がはじまった。ただし、馬橋の校舎は狭かったので、昭和13年(1938)に陸軍通信学校は神奈川県大野村(現在の相模原市)に移転となった。その後、昭和16年(1941)の太平洋戦争勃発で、通信下士官の急速な補給に迫られ、少年通信兵のための独立した学校を設けることになり、昭和17年(1942)4月1日に陸軍通信学校生徒隊を昇格して陸軍少年通信兵学校が創設された。初代校長に末光元広少将が就任、生徒隊は生徒隊長が統括し、中隊長は生徒隊長の命を受け、各中隊の訓育・術科教育を担任した。陸軍少年通信兵学校は、当初神奈川県大野村の陸軍通信学校内に同居していた。その間、東村山町(現在の東村山市)に約53万m2(約16万坪)の敷地を得て校舎建設が進められ、10月23日に新校舎に移転した。正門の前には野火止用水が流れ、松林の中に学校本部・大講堂・生徒舎・通信講堂・機材庫・生徒集会所・医務室・大食堂等が整然と配列された。昭和18年(1943)10月1日、村松陸軍少年通信兵学校(現在の新潟県五泉市)の創設により、東村山町所在の陸軍少年通信兵学校は東京陸軍少年通信兵学校と改称された。12月1日に11期生、翌昭和19年(1944)6月1日に12期生が入校し、従来の松、竹、梅、雪、月、花に加え、鶴、亀と中隊が増えて8個中隊となった。校長は末光元広少将、小山義巳大佐(後に少将)、小西貞治大佐と続いた。この年の末には校地の拡張が進められ、約66万m2となった。全国から受験し合格した15歳前後の少年たちは、東村山の地でモールス信号の送受信や通信機の取扱い等の厳しい訓練を受け、寝食を共にしていた。彼らは広大に拡大した戦地に転戦し、通信兵として任務にあたった。また東村山の地で終戦を迎えた生徒も多かった。昭和20年(1945)4月に特別幹部候補生通信第1期生が入校した。特別幹部候補生は、消耗する兵力増強のため、短期間の軍隊教育で即戦力として活用できる中等学校生徒を対象としたものであった。甲種は選抜で士官に、乙種は下士官になる制度だった。東京陸軍少年通信兵学校には通信兵種の乙種が入校し、少年通信兵と同様の訓練・教育が行われるはずであった。しかし空襲が激しくなると、第12期少年通信兵・特別幹部候補生ともに、大部分の中隊は各地へ疎開し、在校の中隊も通信 壕ごう の掘削などに従事することになった。8月15日の終戦により、疎開各隊の帰校を待って順次復員し、同月28日に復員完結となり陸軍少年通信兵の母校としての歴史を閉じた。なお、馬橋・大野・東村山・村松各校での少年通信兵入校生徒は約5,900人に上り、さらに東京陸軍少年通信兵学校では特別幹部候補生約700人を受け入れていた。関係する資料は終戦後大部分が直ちに焼却処分されたが、一部の資料は当時の在校生・卒業生等により保管されてきたので、その歴史や活動状況についてはある程度判明している。戦後、東京陸軍少年通信兵学校の施設の一部は逓信省に移管され、高等逓信講習所となり、東京陸軍少年通信兵学校に在校していた特別幹部候補生や教職員の希望者が入所した。その後高等逓信講習所は、中央電気通信学園となり調布市に移転したため、建物は電電公社の社宅や寮として利用された。また、東京陸軍少年通信兵学校の給水施設を利用して、昭和33年(1958)に東村山町の上水道事業の第1号として給水が開始された。そして、外地引揚者寮は敷地の東側にあった材料庫を使用し、住宅困窮者のための更生施設である村山昭和寮は敷地の西側にあった電気講堂を使用した。さらに旧軍用地であることから、広大な敷地は戦後開拓事業のために引揚者や地元農家へ農地として提供された。昭和22年(1947)実施の新学制では独立校舎による新制中学校の設立が求められ、東京陸軍少年通信兵学校の建物のうち松隊・鶴隊の兵舎等を利用し、昭和22年4月1日に町立東村山中学校(現市立東村山第一中学校)が開校した。その後も、東京陸軍少年通信兵学校敷地内には、市立南台小学校、明治学院東村山高等学校、明法学院高等学校及び日体桜華女子高等学校が設置され、文教的地区となった。陸軍少年通信兵学校の敷地は、現在の東村山市富士見町1・2丁目の大部分と東大和市新堀1丁目の一部にあたる。当時の施設は現存しないが、陸軍少年通信兵学校正門前にかかっていた橋(第二富士見橋)がほぼ当時の姿を残している。東村山市指定文化財調書より。ーーーーーなお、東大和市には陸軍少年航空兵学校が存在しており、多摩地区は少年兵を育成する軍の機関が集まっていたようです。