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2008年まで存在した塚の跡地。現在では面影は全く見られず、跨線橋南側に説明文が立てられているのみである。新編武蔵風土記稿にも記載があり、古くから弾中塚・経塚などと呼ばれていたと思われる。発掘調査が行われたものの歴史的に根拠となるものは出土せず、2008年に消滅した。立体交差の跨線橋南側に説明文が立てられているがその地点よりやや西側に塚は存在した。また、塚に建てられていた石塔は同市下保谷にある福泉寺に移設されている。