郡公会堂近く、歴史を感じる散策。
仁多郡家跡の特徴
奥出雲町郡の郡公会堂近くに位置しています。
出雲国風土記の登場地で歴史を感じられます。
標柱はあり、訪問の目印になりますが文字は少し読みづらいです。
奥出雲町郡・郡公会堂のそばに出雲国風土記登場地 郡家跡(比定地)の標柱が建っている(文字は読みずらい)。実際の郡家比定地は、この標柱から山側に100メートル程行ったところで、石碑と説明板が建っている。大正12年(1923)の調査で、「字」名に「内裏原」や「大領原」が残ることから、ここが比定地とされた。北東方向へ800メートルほど行った道路脇(亀嵩分団の消防格納庫のそば)には、もう一つの標柱が建っている。出雲国風土記登場地 仁多郡周辺には古墳も多く点在している。投稿した写真は、石室の天井石が露出していることで知られる「常楽寺古墳」で、人物埴輪が出土している(松江市の「八雲立つ風土記の丘」で展示してあるのを見たことがある)。
| 名前 |
仁多郡家跡 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
3.5 |
| 住所 |
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周辺のオススメ
郡公民館に停めてから歩いて行けます。道標に沿って少し迂回路があるので注意。当地は出雲国風土記に記載のある「郡」の地名を残す地域であり、中でも字名「内裏原」と呼ばれるのがこの石碑周辺となっている。大正12(1923)年、島根県史編纂委員であった野津天籟が依頼を受けて仁多郡家の調査を行い、内裏原および大領原という地名が周辺にあることから、当地に石碑を設置し比定地としている。周辺には蹄脚円面硯の出土したカネツキ免遺跡や仁多郡最大の古墳である岩屋古墳、島根県内でも数少ない人物埴輪が出土した常楽寺古墳などがあり、古代仁多郡の中心であったことが伺われる。8世紀成立の出雲国風土記には大國主命が「是爾多志枳小国也(ここは湿潤で肥えており水田に適した国である)」と言ったため「仁多」と呼ぶようになったという逸話が残されており、当地が古くから栄えた土地であったことがわかる。