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昭和13年(1938)建築、木造2階建ての近代和風住宅。正式には「常盤台・斯波家住宅」といい、平成20年(2008)3月27日に板橋区登録有形文化財(建造物)となっています。文化庁の国登録有形文化財ではなく、板橋区独自の文化財登録制度によるものです。現在も私有の住宅として使用されているため内部見学はできず、道路上から建物と教育委員会の説明板を見学する形になります。板橋区公式では東武東上線ときわ台駅から徒歩約3分です。この住宅の価値を理解するには、建物単体より先に「常盤台住宅地」が何だったのかを知る必要があります。現在の常盤台一・二丁目周辺は、もともと北豊島郡上板橋村字向屋敷・字原に属し、「前野っ原」と呼ばれた農地でした。東武鉄道は1920年代後半、西新井方面と上板橋を結ぶ「西板線」の車両基地・操車場用地として一帯を取得しましたが、計画変更を経て住宅地開発へ転用。昭和10年(1935)10月には住宅地の玄関として武蔵常盤駅、現在のときわ台駅を新設し、翌1936年秋から東武鉄道初の本格的沿線住宅地「常盤台住宅地」の分譲を始めました。東武鉄道自身は開発面積を約24.3ha、板橋区文化財資料では駅整備を含む土地区画整理の範囲を約26万4千㎡としています。これは対象範囲の取り方が異なるためで、単純な矛盾とは考えない方がよいでしょう。都市設計も非常に先進的でした。当初の碁盤目状計画を改め、内務省・都市計画東京地方委員会の指導を受け、東京帝国大学建築学科を卒業したばかりの小宮賢一が基本設計を担当。駅前ロータリーから道路を放射状に伸ばし、住宅地をほぼ一周する曲線状のプロムナード、通過交通を抑えるクルドサック、道路沿いの修景緑地ロードベイ、歩行者用のフットパスなど、欧米の住宅地計画手法を導入しました。東武鉄道資料では総591区画、うち住宅433、店舗58などが計画されていたとされ、昭和13年(1938)4月には建物や住環境を統制する「常盤台住宅地建築内規」も成文化されています。現在の板橋区も、プロムナード・クルドサック・ロードベイ等を保存すべき景観資源として位置付けています。斯波家住宅は、まさにその住宅地形成期の昭和13年(1938)に建てられました。板橋区が近年作成した文化財資料でも、常盤台住宅を東武鉄道が昭和11~14年(1936~1939)に分譲した「戦前最後の『田園都市』」と位置づけ、斯波家住宅を同13年建築の近代和風住宅として紹介しています。つまりこれは「昭和初期風に後から造った住宅」ではなく、常盤台住宅地そのものが成立していた時代に建った家です。ただし、現在見えている建物が1938年当時の住宅全体そのまま、というわけでもありません。平成16年(2004)、建築当初の姿を維持できなくなる状況となった際、所有者が文化財的価値を考慮し、2階部分と北側の一部分を曳家して敷地内で移動・保存しました。その結果、建築当初より規模は大幅に縮小しましたが、広縁を含む4室と屋根が昭和13年当時の姿を残しています。現地説明板を転記した複数資料では、現在の規模は建築当初の約40%とされています。完全保存ではなく、「失われるはずだった住宅から重要部分を実際に動かして残した建築」と考えると、現在のやや特殊な形状も理解しやすくなります。ここが特に重要です。文化財登録は2008年ですが、保存の決断はその4年前の2004年。つまり「文化財に指定されたから残した」のではなく、所有者が先に建物を残し、その保存された建築的価値を後から行政が文化財として評価したという順序になります。常盤台では老朽化、生活様式の変化、相続に伴う敷地分割などによって開発当初の住宅が次々に失われており、斯波家住宅はその流れの中で例外的に一部保存されたものです。板橋区が「常盤台住宅の歴史を伝えるうえで重要な近代和風建築」と評価する理由もここにあります。外観では、二階建ての和風住宅としての屋根構成、木部、深い軒、広縁につながる住宅らしい開口部などを見ることができます。道路側には文化財説明板が設置されています。古い実地記録では塀に大谷石が使用されていることも指摘されていますが、これは区公式資料に材質の明記を確認できなかったため、現地で確認して見るのがよいと思います。また、斯波家住宅だけを見て引き返すより、周囲の道路を見ると価値が格段に分かりやすくなります。現在も常盤台一・二丁目には曲線を描くプロムナード、5か所のクルドサック、ロードベイ、細いフットパス、駅前ロータリーなど戦前の都市計画骨格が残っています。平成26年(2014)には常盤台一・二丁目が板橋区の「景観形成重点地区」に指定され、現在は規模を問わず建築物の新築・増築・改築・移転や一定の外観変更が景観届出の対象になるなど、住宅一棟ではなく街並み全体を継承する仕組みへ発展しています。斯波家住宅は豪華な洋館でも、内部公開される観光施設でもありません。しかし、昭和初期に鉄道会社・内務省・都市計画家が構想した「駅を造り、その周囲に理想的な郊外住宅地を一から造る」という私鉄沿線開発の思想と、そこで実際に建てられた住宅の双方を、同じ場所で約90年後まで確認できる点に価値があります。現在の建物が当初の約4割しか残らないことも、むしろ戦前郊外住宅地保存の難しさを物語っています。道路や街路樹は公共財として比較的残しやすい一方、住宅は所有者の生活、老朽化、相続、土地価格によって容易に失われます。斯波家住宅は、そうした中で「一部だけでも曳家して残す」という選択が実際になされた珍しい実例です。個人住宅ですので、門内への立入りや内部見学は不可。道路上から静かに見学する場所です。建物だけでなく、1930年代から続く曲線道路やプロムナードまで合わせて歩くと、「板橋の田園調布」と呼ばれてきた常盤台が、単なる高級住宅地ではなく、戦前日本の都市計画そのものを今に残す地区であることがよく分かります。