志村第三小学校近くの庚申塔。
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| 名前 |
庚申塔 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
5.0 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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志村第三小学校の北東側の住宅地に、正徳2年(1712)と明治29年(1896)の2基の庚申塔が並んで残っています。こちらは信仰塔であると同時に江戸から明治にかけての地域交通を記録した道標でもある、かなり面白い石造物です。古い方は正徳2年(1712)9月造立の駒型庚申塔。高さ約134cm、幅47cm、厚さ24cmで、正面には日月、その下に六臂合掌型の青面金剛、足元に二鶏・邪鬼・三猿を陽刻しています。光背には「奉安置庚申供養尊像一軀現當悉地成就攸」と刻まれ、台座には講中十数名の名も残ります。つまり一個人の墓碑などではなく、当時の蓮沼村の人々が共同で営んだ庚申講の信仰を物質的に残したものです。庚申信仰は、中国道教の三尸説を基礎に、日本で仏教・神道・修験道などが混交して成立した民間信仰です。庚申の日の夜、体内の三尸が天帝へ人の罪を告げに行くと考えられたため、人々は講を組み、眠らず夜を過ごす「庚申待」を行いました。江戸時代になると庶民にも広く普及し、供養の記念として各地に庚申塔が建立されます。板橋区は現在確認されているだけでも203基の庚申塔を把握しており、この地域で信仰が非常に盛んだったことが分かります。この1712年塔で特に重要なのが、台座側面の「北ハ 川口 善光寺道/南ハ いた者志みち」という刻銘です。つまり庚申塔でありながら、北へ向かえば川口・善光寺方面、南へ向かえば板橋方面であることを示す実用的な道路標識を兼ねていました。石造文化財データでは「蓮沼町の庚申塔道標1」と整理され、現在地についても「原位置?」とされているため、少なくとも大規模に寺院へ集約された石塔とは異なり、旧来の道路空間との関係を比較的よく残している可能性があります。しかも、この塔の開眼供養に関わった僧について、台座側面に「南蔵院住法印宥□」と読める銘が確認されています。現在の蓮沼町48-8にある南蔵院は、江戸時代初期創建と伝わる真言宗寺院で、境内には承応2年(1653)建立の「南蔵院の庚申地蔵」も残っています。こちらは板橋区内203基の庚申塔のうち2番目に古いものとして区登録有形民俗文化財になっています。したがって、この1712年塔も孤立した路傍信仰ではなく、蓮沼村の庚申講と南蔵院を中心とした地域信仰圏の一部として見ると理解しやすいです。隣に立つもう一基は、約184年後の明治29年(1896)3月建立。こちらは像を主体とした江戸期の塔とは異なり、日月の下に大きく「庚申塔」と刻む文字塔で、下部には「下講中」とあります。さらに側面には「北 あかばね/南 いたばし 道」と刻まれています。この2基を並べて見るのが非常に面白いです。1712年には北=川口・善光寺/南=板橋1896年には北=赤羽/南=板橋と案内先が変化しています。つまり約2世紀の間に、同じ地域の交通認識が変化したことが石に残っているわけです。江戸期には善光寺参詣など宗教的目的地を含む道案内だったものが、明治期には「赤羽」という近代都市・交通拠点が前面に出てくる。特に赤羽駅は1885年開業なので、1896年塔の建立時にはすでに鉄道交通の結節点となっていました。2基の庚申塔を比較するだけで、江戸の徒歩・参詣交通から明治の近代交通へ地域が移行していく様子まで読み取れるのが、この場所最大の魅力だと思います。像容もぜひ細かく見てほしいです。1712年塔は、頭上の日月、六本の腕を持つ青面金剛、足元の邪鬼、その左右の二鶏、最下部の三猿という、江戸時代の青面金剛庚申塔として典型的な構成をよく残しています。特に三猿は比較的大きく表現されており、風化はあるものの現在でも図像を追うことができます。また、この周辺には庚申塔が非常に多く残っています。蓮沼町2丁目、53番地付近、南蔵院などにも複数の庚申塔があり、南蔵院には江戸期の塔が集約されています。板橋区公式の「志村散策コース」でも南蔵院の庚申地蔵が紹介されているため、石造物好きならこの2基→蓮沼氷川神社→南蔵院と歩くと、旧蓮沼村の信仰と地域史がかなり立体的に見えてきます。現在は民家の角にごく自然に祀られており、観光用の説明板も大きな案内表示もありません。そのため何も知らなければ、古い石仏として通り過ぎてしまう可能性があります。しかし実際には、1712年の村落信仰→庚申講→青面金剛・三猿→南蔵院との関係→川口・善光寺へ向かう旧道→1896年の庚申講→赤羽・板橋を結ぶ近代の道という約200年分の地域史が、わずか数メートルの場所に凝縮されています。個人的には、単に「庚申塔が2基ある」というより、江戸時代と明治時代の“道路標識”が並んで残っている場所として見るのが一番面白いと思います。しかも1712年塔については、板橋区教育委員会系の石造文化財調査をもとにしたデータで「蓮沼町の庚申塔道標1」として記録され、寸法・銘文まで整理されています。歴史好き、石仏好き、旧道歩きの方にはかなりおすすめできる、小さいながら情報量の多い史跡です。さらに詳しく調べたい方には、板橋区教育委員会『いたばしの石造文化財1 庚申塔(改訂版)』が最重要資料です。現在も板橋区の有償刊行物として扱われており、文化財シリーズ第78集として刊行されています。旧版は1977年の文化財シリーズ第24集『庚申塔』で、国立歴史民俗博物館や東京国立博物館などにも所蔵があります。参考にしやすいネット資料はこちらです。板橋区蓮沼町の石仏・庚申塔詳細(私家版さいたまの石仏)板橋区公式・南蔵院と庚申地蔵板橋区公式・志村散策コースCiNii・板橋区教育委員会『庚申塔』小さな路傍の2基ですが、「信仰」「村落共同体」「旧道」「参詣」「赤羽の都市化」という複数の歴史を一度に読める、蓮沼町でもかなり面白い庚申塔だと思います。