所郁太郎と戸田三弥の歴史深いお寺。
妙法寺の特徴
妙法寺には、所郁太郎の遺髪墓所があり歴史を感じられます。
幕末の大垣藩家老・戸田三弥の墓所も併設される特異な場所です。
第二次長州征討に関与した歴史的人物の足跡を辿ることが可能です。
山号を妙運山、妙法寺、日蓮宗のお寺です大垣出身で長州藩志士の所郁太郎の遺髪墓所幕末の大垣藩家老戸田三弥の墓所戸田三弥は第二次長州征討、藩論が勤王に統一すると戊辰戦争では藩軍司総裁として東山道を東北まで転戦し功績を上げている新政府では、造幣局允、鉱山大佑の官に着くも辞して帰郷している明治11年には第百二十九国立銀行創立の発起人、取締役第百二十九国立銀行は後の大垣共立銀行長州藩遊撃軍参謀として活躍した所郁太郎と長州征討に出兵した戸田三弥の墓所が同じ場所にある興味深いお寺です。
| 名前 |
妙法寺 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
0584-71-0370 |
| 評価 |
5.0 |
| 住所 |
|
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日蓮宗のお寺です。司馬遼太郎の小説「翔ぶが如く」に出てくる美濃出身の「所郁太郎」の墓所があります。所郁太郎は赤坂宿出身の幕末の蘭医学志士で天保九年(1838年)に赤坂宿の酒造家「矢橋亦一の四男として生まれ、幼少にして揖斐郡大野町西方の医師「所伊織」の養子となった。その後、勤王の志を胸に国事に奔走し長州藩遊撃隊参謀となりました。井上多聞(後の元老井上肇)が 刺客に襲われ、重傷を負うと外科手術を施し一命を救いました。元治二年(1865年)山口市吉敷の陣営において二十八歳の若さで病没しました。