ひっそり佇む庚申塔の魅力。
スポンサードリンク
スポンサードリンク
スポンサードリンク
| 名前 |
庚申塔 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
4.5 |
| 住所 |
|
|
ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
|
スポンサードリンク
周辺のオススメ
スポンサードリンク
スポンサードリンク
北区赤羽北との区境に近い住宅地の一角に、コンクリートの覆屋に守られてひっそり祀られている庚申塔です。Googleマップでは単に「庚申塔」としか表示されませんが、調べてみると、江戸時代中期の小豆沢村の庚申信仰と、当時の交通路を同時に伝える非常に情報量の多い石造物でした。造立は延享年間(1744~1748)。正面には日月雲を配し、その下に六臂の青面金剛像が浮彫りされています。右脇には「奉供養青面金剛」と刻まれ、頭上には蛇が巻き付くように表現されています。顔面や腕の一部は風化していますが、現在でも像容はかなり明瞭で、足元には邪鬼、その下には二鶏と三猿まで確認できます。庚申信仰の典型的な図像要素が一基の中によく残っている庚申塔です。庚申信仰は、中国道教の三尸説を背景として日本で独自に展開した民間信仰です。庚申の日の夜、人の体内にいる三尸が天帝へその人の罪を報告すると考えられたため、人々は夜通し眠らずに過ごす「庚申待」を行いました。江戸時代になると村や町の講によって庚申塔が盛んに建てられ、青面金剛、三猿、日月、鶏、邪鬼などを組み合わせた独特の石塔文化が発達します。この塔が特に面白いのは、単なる信仰塔ではなく、道標を兼ねていることです。側面には、「みなミ 江戸道」「北 あづ沢わたしバ」「西 祢りま ふじ道」「東 川口 ぜんかうじ道」と刻まれています。つまり約280年前、この地点は南へ進めば江戸、北へ進めば「あづ沢わたし場」、西へ向かえば練馬・富士方面、東へ向かえば川口・善光寺方面へつながる交通の結節点として認識されていたことになります。この「あづ沢わたしバ」は特に興味深いところです。現在の小豆沢は荒川から少し離れて見えますが、近世には荒川・新河岸川水系を介した渡河や往来が地域交通に大きな意味を持っていました。現代の道路だけを見ていると分かりませんが、この道標を読むことで、江戸時代の人がどちらの方向へ歩いていたのかが一気に浮かび上がります。さらに台石には「武州豊嶋郡」「峡田領小豆沢村」などの地名と、施主・願主の名が刻まれ、側面には主として女性とみられる複数の名前も確認されています。これは非常に重要で、庚申塔が一人の信仰者によって建てられた記念碑ではなく、小豆沢村の人々が共同で造立し、維持してきた村落信仰の物証であることが分かります。そして、小豆沢という地域自体が庚申塔の非常に多い場所だったことも、この塔を理解するうえで欠かせません。近くの龍福寺には現在も多数の庚申塔が集められており、板橋史談会の調査では境内に14基もの庚申塔が確認されています。そのうち11基には「小豆沢村」などの銘があり、万治3年(1660)から天保7年(1836)まで、長期間にわたってこの地域で庚申信仰が盛んだったことが分かります。つまり、この路傍の一基も孤立した石仏ではありません。江戸時代の小豆沢村には庚申講が広く存在し、各所に庚申塔が造立され、その一部が寺院に集約される一方、この塔のように旧道沿いに残され続けたものもある。そう考えると、現在のコンクリート覆屋にも意味を感じます。2015~2016年頃の石仏調査記録でもすでに同じ場所、赤羽北三丁目交差点南側の「小豆沢2-36」付近に確認されており、住宅地や駐車場の景観が変化する中でもこの場所で祀られてきたことが分かります。現地では今も水や植物、硬貨などが供えられていました。これは博物館に移された「過去の文化財」ではなく、約280年前に造られた石塔が、現在も地域の人から庚申さまとして扱われていることを物語っています。個人的には、そこがこの場所の一番印象的なところでした。また、青面金剛の造形もぜひ近くで見てほしいです。頭上の蛇、六本の腕、足元の邪鬼、その下の鶏と三猿という構成を順番に追うと、風化した一枚の石の中に庚申信仰の世界観が凝縮されていることが分かります。特に三猿は「見ざる・言わざる・聞かざる」と庚申信仰との結びつきを今日まで伝える分かりやすい意匠です。しかも側面まで見ると、この石塔は信仰対象から一転して江戸時代の道路標識になります。江戸、練馬・富士、川口・善光寺、小豆沢の渡し場――現在なら道路標識やGoogleマップが担う役割を、一基の庚申塔が担っていたわけです。道祖神的な境界守護、庚申信仰、村人の共同祭祀、交通案内。そのすべてが一つの石造物に重なっています。一見すると住宅地の塀際にある小さな庚申堂ですが、「江戸時代の小豆沢村の交差点を、そのまま一基の石に記録したもの」と考えると非常に面白いです。小豆沢周辺の庚申塔を巡るなら、ここだけで終わらず、龍福寺の石塔群や小豆沢4丁目に残る明治36年建立の庚申塔まで見て歩くと、この地域で庚申信仰がどれほど長く続いてきたのかが実感できます。参考資料としては、東京都教育委員会関係の特別区庚申塔共同調査チーム「東京東部庚申塔データ集成」『文化財の保護』43が基礎資料の一つです。板橋の庚申塔全体については板橋史談会「板橋区は庚申塔の宝庫」も非常に参考になります。