月山富田城跡で歴史の道を歩こう!
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| 名前 |
通路跡 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
3.0 |
| 住所 |
|
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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月山富田城跡の「通路跡」は、花ノ壇と山中御殿の間に残る、城内の通行路の遺構です。発掘調査によって、かつての通路が土を幾層にも突き固めて造られていたことが分かり、現在はその断面を屋根の下で露出展示しています。月山富田城では、単に曲輪や堀切を配置するだけでなく、曲輪同士を結ぶ通路にも工夫が凝らされていました。この通路は、雨水や地中から浸透する水によって崩れるのを防ぐため、真砂土と粘土を約2mの高さにわたって14層に突き固めていました。途中に粘土の層を入れることで水はけにも配慮されており、こうした土を突き固める工法は「版築」と呼ばれます。山城では急斜面を上り下りする道が重要な役割を持つため、通行を維持するための土木技術にも相応の工夫が施されていたことが分かります。通路跡の周辺には堀切も残されています。花ノ壇側から山中御殿へ進むこの一帯では、曲輪の間を堀切で分断し、通路を折り曲げることで侵入する敵の動きを制限する構造が確認できます。安来市観光ガイドでも、花ノ壇の折れ曲がった通路は、正面だけでなく側面からも攻撃できる「横矢」の仕掛けとして紹介されています。単なる移動のための道ではなく、防御施設と一体となった通路だったことがうかがえます。さらに、この通路は花ノ壇から山中御殿へつながる城内の動線を知るうえでも重要です。月山富田城では、菅谷口・御子守口・塩谷口からの主要な登城道が山中御殿に集まり、そこから山頂の本丸へは「七曲り」と呼ばれる折れ曲がった道が続いていました。花ノ壇周辺の通路跡もこうした城内の交通網の一部であり、発掘調査ではその通路が山中御殿の石垣外側まで続いていたことも確認されています。月山富田城跡では、石垣や土塁、堀切といった目立つ遺構に目が向きがちですが、この通路跡からは、単に強固な防御施設を築くだけでなく、平時の安全な往来と戦時の防御という二つの機能を両立させていたことが読み取れます。花ノ壇からこの遺構を経て山中御殿、そして七曲りへと進むことで、城内の移動と防御がどのように結びついていたのかを、実際の地形に沿って理解できます。