宇龍港の歴史感じるレトロ感。
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| 名前 |
宇龍港 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
|
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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この辺のレトロ感がいい宇龍港の歴史と伝統日御碕からおわし浜を廻れと宇龍港である。宇龍港は、戦国時代には山陰屈指の貿易港として、また、江戸時代には北前船の風待ちの港として賑わった。宇龍港には、和布刈り神事で有名な「権現島」があり、また、萩の乱の首謀者「前原一誠」が戦いに敗れ、嵐を避けて潜んでいるところを捕縛された歴史もある。宇龍地区には、そうした歴史とともに「みんどう」、「とんど焼き」、「盆踊り」など町の中では一風変わった伝統行事が大切に守られている特色ある地区である。宇龍港の浜に立つと、こんもりと覆われた小山のような権現島が居座って、北西の風波を遮り、『出雲国風土記』には「宇礼保浦うれほうら」と記され、古代から天然の良港とされていた。古来、日御碕神社の社領地であったが、利権をめぐって鎌倉から室町時代には出雲大社領となっていることも多かったといわれている。戦国時代になると、内外の交易船が出入りし、奥出雲の鉄なども取引された。山陰海岸の問丸といまる(倉庫業者)もいて、山陰屈指の商港として栄えていた。江戸時代に入ると、鎖国政策により、大きい船の建造も禁止されたことから、華々しさは見られなくなったが、松江藩の冬期の囲い浦となり、お手盛蔵が軒を並べて建てられていた。その後、西回り(北前)航路が開かれて日本海を通る千石船(和船)の風待ちの避難先として賑わい、10数戸に船問屋、風呂屋、そば屋など北前船を相手とする家も多くあった。しかし、大正期からは、風に関係なく航行する船に変わり、北前船も姿を消し、漁船が出入りする港となっていった。