いかだ流しの歴史を味わう。
| 名前 |
筏流しと筏道 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
3.0 |
| 住所 |
〒214-0012 神奈川県川崎市多摩区中野島6丁目20−20 |
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「江戸時代から大正にかけて多摩川の上流から六郷まで木材を運んだ労働者が上流に帰る際に通った道」筏流し(いかだながし)とは家屋などで建築資材として使うために伐採された木材を上流でいくつか綱で束に組んで「いかだ」にしそれを操る人間が乗り川を下り下流の集積地に送り届ける仕事の事を指します。筏道(いかだみち)とはその木材を送り届けた労働者が上流へと帰る道の事であります、筏流しは水田に水を張るために多摩川から水を得るための堰が造られる夏の間をのぞき秋の後半から翌年の夏のはじめ頃まで上流の伐採地である青梅から下流の集積地である六郷や羽田まで数日をかけ木材を運んでいました、江戸時代における東京いわゆる江戸では人口増により木造家屋が密集しておりしばしば大火と呼ばれる大火災が起こり家屋が大規模に焼失することが発生したために復興の度に木材が必要とされ特に江戸に近い青梅では「青梅材」と呼ばれる木材が重宝されました。木材を運ぶ筏流し達は危険な仕事であり途中川に転落し溺死するものもいましたがその分高い賃金(約1両と言われてます、これは数万から十数万円に値する金額です。)を貰っており下流の六郷にはそういった筏流し達をもてなす「筏宿(いかだやど)」などがあったそうです。六郷に木材を届け筏宿で一泊した後に彼らは上流の青梅まで二日かけてこの「筏道」を歩いて帰りました、明治に入り青梅まで鉄道が敷かれると彼らは鉄道を利用するようになりさらに青梅からのトラック輸送や鉄道輸送が行われるようになると「筏道」は利用されなくなり大正時代末期にはほぼ廃れたそうです、現在は生活道路として近隣に住む住民らにより使用されています。