飯島城跡で歴史散策を。
飯島城跡の特徴
東西800m、南北400mの広大な飯島城跡が魅力です。
飯島氏によって築かれた歴史深い城で訪れる価値があります。
土塁や郭、堀などの遺構が残る独特の風景が楽しめます。
飯島城(620m/60m)別名:本郷城遺構:土塁,郭,堀城主:飯島氏歴史:築城年代は定かではないが飯島氏のよって築かれたと云われる。 飯島氏は片切氏の支流である。甲斐の武田氏が侵攻すると飯島氏はそれに従った。天正10年(1582年)織田信長の軍勢が伊那へ侵攻すると、飯島民部少輔と小太郎父子(あるいは兄弟)は大島城に籠もった。大島城が落城すると仁科盛信が籠もる高遠城へ入りここで討死したという。説明:飯島城は天竜川西岸の段丘にあり、南に子生沢川、北に相の沢川が流れた台地に築かれている。城域は広く、主郭部は西岸寺のある台地の南東端にあり、ここから東へ伸びた丘陵へ城域は拡がり、東端は天竜川近くの城山まで続いている。主郭は西岸寺から続く農道の終点にあり畑となっている。北西背後の尾根を土塁と大堀切で遮断して主郭としており、土塁の上に案内板が設置されている。東の城山へは「前の田」、「古城」などと呼ばれている果樹園を通って行くが、この途中にも空堀がある。城山には稲荷社が祀られているようであるが、夏草が生い茂って参道が埋もれており未確認である。案内:主郭は西岸寺から続く舗装された農道を走る。駐車場はないのでお寺に駐めて歩くのが無難である。三つの地区に広がる大規模な城跡平山城(620m/60m)別名:本郷城遺構:土塁,郭,堀城主:飯島氏歴史:築城年代は定かではないが飯島氏のよって築かれたと云われる。 飯島氏は片切氏の支流である。甲斐の武田氏が侵攻すると飯島氏はそれに従った。天正10年(1582年)織田信長の軍勢が伊那へ侵攻すると、飯島民部少輔と小太郎父子(あるいは兄弟)は大島城に籠もった。大島城が落城すると仁科盛信が籠もる高遠城へ入りここで討死したという。飯島城は天竜川西岸の段丘にあり、南に子生沢川、北に相の沢川が流れた台地に築かれている。城域は広く、主郭部は西岸寺のある台地の南東端にあり、ここから東へ伸びた丘陵へ城域は拡がり、東端は天竜川近くの城山まで続いている。主郭は西岸寺から続く農道の終点にあり畑となっている。北西背後の尾根を土塁と大堀切で遮断して主郭としており、土塁の上に案内板が設置されている。東の城山へは「前の田」、「古城」などと呼ばれている果樹園を通って行くが、この途中にも空堀がある。城山には稲荷社が祀られているようであるが、夏草が生い茂って参道が埋もれており未確認である。案内:主郭は西岸寺から続く舗装された農道を走る。駐車場はないのでお寺に駐めて歩くのが無難である。
国道153号で真っぷたつ..( ̄0 ̄;東西800m、南北400m、上段と下段の比高差が130mあるデカイ城跡。ゆえに同じ縄張図付き説明板が上下にあるけど場所は両方わかりにくい。のちに令和3年の縄張図付説明板が設置された... やっぱり2ヶ所🪧🪧🤭下段の遺構はデカーーイ堀跡で区切られた段郭が段々畑になってた(^o^;)竪土塁に切通しがつらぬいてる。先っちょは崖で天竜川の眺め♪上段も堀がでかく、ながーい竪土塁が山林に埋もれてる♪主郭は畑だけど土塁が残ってた。屋敷跡が城の周りに点在してて飯島郷を形成してたそうな。この飯島一族は高遠城で織田方に攻められて仁科盛信と共に討ち死にしている。さらに第一次上田合戦で徳川方の先鋒としてまた討ち死にしてるという..(((-_-;)
| 名前 |
飯島城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 営業時間 |
[木金土日月火水] 24時間営業 |
| 評価 |
3.0 |
| 住所 |
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天竜川に向かってのびる細い段丘の上に作られた広大な城郭です。西岸寺の駐車場をお借りしました。土塁の上に説明板があります。主郭は畑になっていて、その周囲は雑木林になっています。古城の方も行ってみましたが、雨が強く、早々に退散しました。