深夜の酒と共に、新鞍神社へ。
新鞍神社の特徴
深夜に酒をお供えするユニークな風習のある神社です。
立派なお社が特徴で、滋賀県との県境近くに位置しています。
もともとは人身をおそなえしていた歴史を持つ神社です。
新鞍神社(あたぐらじんじゃ)。福井県大飯郡おおい町川上。式内社(小)許波伎神社(コハキノ)、旧村社。主祭神:大國主命合祀:火之夜藝速男神 豊受姫命 大山祇命 應神天皇資料によると、創祀年代は不詳。若狭国神名帳に正五位賊掠明神と記載の社とされていて、944年以前からの由緒ある古社です。南径山東西寺新鞍大権現といわれた時期もあり、そのほかにも盗掠、棟梁、阿多倉などの字を当てた記録もありますが、明治になって現在の“新鞍”に一定されました。往古、人身を御供する社であったが、いつの頃か、陰暦正月十三日夜半、人皆寝静まった時刻に酒を献じて祈願するように変化したという。合祀されている大山祇命は、もとは、川上字山神の無格社・山神神社の御祭神。この山神神社を、式内社・許波伎神社とする説があるらしい。伴信友によると「許波伎」というのは川上周辺の地名らしい。とあります。
滋賀県との県境近くにある、立派なお社です。
| 名前 |
新鞍神社 |
|---|---|
| ジャンル |
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| HP |
http://www.jinja-fukui.jp/detail/index.php?ID=20151027_172103 |
| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
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書により「新鞍神社」をしらべてみるもともとは人身をおそなえする神社であったというが、いつの頃からか深夜に酒をお供えするようになったという。これは深更神酒奉献(しんこうしんしゅほうけん)の神事といわれる。旧名は「賊椋(とくら・あたくら)明神」と称したとある※ルビの(とくら・あたくら)は書をみるに、読み方が2種類あったので、その2種類のルビを書いておいた。【福井県の伝説】の書により、全く違った神社の話を知ることが出来る。__________〇[メモ] 正五位とあり、三代実録にて調べてみたが、賊椋大明神、盗椋大明神、棟梁大明神、いづれも無し。❶【参考 伴信友全集 第2 明治40年】正五位 賊椋(とくら・あたくら)明神この神社、郡県誌に川上村に在り、産神と為す、何神を祭るを未だ知らず、正月13日、8月晦日、9月7日、祭ありといへるが如し、いま川上村の東の山中に、「あたぐら谷」というがある、その山(の)口に、賊椋大明神あり、これなり、里人あるいは「棟梁大明神」ともいへり、________________❶【参考 佐分利村小誌 昭和4年】【祭神】大国主命(おおくにぬしのみこと・国津神の主宰神)「賊椋(あたくら)大明神」と称していた。創立年月、由緒ともに不詳である口碑によると 往古 人身を御供(おそなえ)を献じたる社なりしも、いつの頃よりか正月の祭禮(さいれい)に夜半(の)人静れるころ神酒を献ずることに変じたるなりと伝う。明治の初め、神社、改めあり、祭神の分明(ぶんみょう・はっきりするという意味)したるは、この時なるか。そして社名の「新鞍」なる文字を改めたるも、此の以後のことなるべし。[鎮座地] 佐分利村内_川上_字_神水にあり[社格] 村社________________今まで調べていた情報とまったく質がちがうので、驚く。❸【参考 福井県の伝説 昭和11年】新鞍神社(佐分利村川上)新鞍谷を流れる川が佐分利川に合流するところに建っている宮である。昔佐分利川の上流、即ち川上の奥にあったものが、大洪水に時に流されてこのところへ来て止まったので、村人は祭神がこのところをお好きになったのだ、と言ってこの所に祀ったという。昔、川上区の奥に老人夫婦が住んでいた、この人たちは川上区の祖先だという。この老人に数人の娘があったが、毎年山に住んでいる「ひひ猿」に一人づつ捧げねばならなかった。ときに「素戔嗚命(すさのおのみこと)」がお出になってその猿を御征伐になって、老人夫婦をおすくいになった。そのため「素戔嗚命」をお祀りしたのが、この神社である、とある。この神社の祭禮(さいれい)は頗る(すこぶる)原始的なものである。祭禮の時にお講がおこなわれる。お講は旧正月の13日におこなわれるが、料理は主に牛蒡(ごぼう)が使用される。それで「ごんぼ講」ともいっている。招待される人は、裃(かみしも)の上着だけをつけて素足で川上区を回る、又来ない客の所へは七度半だけ迎えに行くのである12日には未成年の娘一人を美しく着飾らせて、女親が付き添って栗殻と酒2升とをもって未明に「新鞍神社」へ来るのである。栗殻はむかし、栗で作った酒を猿にやった名残りであるという。